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「ラベル」

4か月前

娘におねだりしすぎたら怒られました

人から大切にしていただけることは決して当たり前のことではなくてとてもありがたく幸せなことだと思うんです。僕は人に大切にしていただいているなと思いますし、ご縁にも恵まれていると思います。心を込めることや気遣い、更に大切にする一年にしたいと思います。

夏休み。朝から毎日毎日ディバイス片手にダラダラする子供達。イライラも言うのも、もうしんどい。今日はイライラしない、何も言わない、と決めた。好きにしなはれ!その代わり、マミィは部屋にこもって部屋を片付けます!(視界から離れる)完全放置。あれ?ディバイスから離れてる。3人で遊んでる。

「昨日寝る前に思いついたアイディアがある!」と娘。反抗期真っ盛りな兄に「毎晩寝る前にハグしてみる。そしたらだんだん優しくなる気がする!」との事。めっちゃいいやん!5歳離れた兄にそんな気持ちを持ってたのか〜と、兄弟間の日常会話ではあまり見られない、彼女の思考に微笑ましくなった。

あかん。反抗期真っ盛り兄さんと久々にぶつかってしもた。感情昂って声震えてしもたやん。全部私のせいみたいに言うけどさ、いや君、そもそも何でこうなった?落ち着いて俯瞰してみんさい。あーだこーだ言うけどさ、どうすれば良いか、考えてみんさい。「反抗期だし仕方ない」で流せない自分がいる。

状況的にはほぼ同じ学生がいるんだけど、A君とB君でなぜ手応えが違うのだろうかと考えて、ちょっと気がついた。B君は「だって〜じゃないですか」が口癖で、私が話していても待たずに遮ってくる。A君にはそれが無い。話を聞いてくれていると実感出来るだけで相手に対する心持ちが随分変わるもんだ。

私にとって憧れの人というのは、自分の立場を利用せず、対等に接しつつも何か導いてくれる人。「この人すごい!」よりも「この人いいな〜」と感じる人。それはちょっと、恋心に似ているかもしれない。

何かが少しずつ少しずつ、起こってきている気がする。繋がるご縁、広がるビジョン。何かやれそうな気がしてきた。妄想が過ぎて、遂にはまだオンラインでしか会った事ない人が夢にまで出てくる始末。笑

うちの反抗期真っ盛り兄さんが大怪我をした。直ぐに搬送先の救急へ駆け付けた。点滴や痛み止めなど投与されて少し落ち着いた時「マミィ、来てくれてありがとう。」と彼は言った。泣けた。子育て色々あるけれど、しっかり育ってくれている。一生忘れない、息子からの「ありがとう」

携帯のせいにしたくないけど、そう思うくらい「君達何も考えてないんじゃないか?」という日が増えている。部屋はぐちゃぐちゃ、立ったら椅子はそのまま。前は両手で出来ていたのに、今は片手が塞がって色々疎かになっている事が目立つ。イライラが募る。子供の声を聴くのは大切、とか言ってるくせに。

今のこの、溢れる震える気持ちをどうやって外に出したらいいんだ!この感動をどう表現して伝えていけば良いのかが分からない!でも伝えたい!先ずはここでがむしゃらに綴るか?って頭の中だけで考えている時点で「正しい方法」に対する意識が働いているんだと思う。そこ手放していかなあかんかー。

人に言うばかりで、実は自分はやってないやん!やっている様に見せかけてやってないやん!て気付いてモヤモヤざわざわ。やだなー、こういう自分。お陰で今日はずっと無口。先ずは書き出す事から、やってみようか。全部吐き出したい。頭の中の棚卸し。

自分のベクトルをちょこっと変える、変えてみる。一人一人がそんな面持ちでいると、小さな変化は結果的に大きな変化が起こるんじゃなかろうか。

手離した途端、何かが変わり、手に入りやすくなる。この原理って何なんだ。不思議。

「夏休み中は何をしたらいいですか!?」 私に聞いてどうするよ。決められたスケジュールの中でずっとやって来た、他人軸の生き方。言われた事はきっちり出来る。日本人に多いかも。やりたい事やってみようよ!自分で創ってみよう!

10年後、私は違う場所で違う景色を見ている気がする、というこの直感は結構大切にすべきかもしれない。

「じゃ、マミィ、行ってきまーす」と二階へ上がって、海外から日本のセミナーに参加する。オンライン化で様々な国のセミナーにアクセスする事が出来る今。ボーダーレス化がぐんぐん進んでいる事を実感。はっ!これってある意味「どこでもドア」やん!

心許せる人と話をする、話を聴いてもらう。言葉を発する事で、自分の頭や心の中の声を聴くことが出来る。これをオートクラインと言うそうだ。ジワリと、自分の想いが言葉として形を変えて表に現れる。新たな気付きを得ることが出来る。だから対話するって大切。

今自分で喋りながらここポイントだ、と思った事。Feeling good about yourselfとacknowledgement この2つが共存している事、重要。

ヤングケアラーの記事を読んだ。私は歩く祖母を見た事がない。下半身不随、車椅子が普通のおばあちゃん。考えてみると、私の母も若い頃からケアラーだったんだ。母が19歳頃の事。周りは華やかに遊んでいた頃だった。当時の話、あまり聞いた事ないな。母は強い人だ。母にはしなやかな軸がある。

うーん。学びを深めていくと、自分がどこへ向かっているのかが分からなくなってきたぞー。最初の目標設定がぼんやりしてたからこうなっているんだと思う。目先の目標だけでは満足できない自分がいて、でもその先の「ここへ向かうぞ!」てのがまだ分からない。相変わらずフワッフワしてるわー、ワタシ。