天正6年(1578)10月17日は摂津・有岡城の荒木村重が毛利・本願寺と通じて信長に背いた日。村重は一年近く籠城して抵抗するも城を脱出し一族を見殺しに。自らの非道を自覚し道糞(後に秀吉が道薫に改めさせた)と名乗り秀吉に仕える茶人に。後悔し自分を責めても遅い事はいろいろありますね。
天正6年(1578)10月17日は摂津・有岡城の荒木村重が毛利・本願寺と通じて信長に背いた日。村重は一年近く籠城して抵抗するが城を脱出し一族を見殺しにすることに。後に秀吉に茶人として仕え道薫と名乗る。自らの非道を自覚した村重は道糞と名乗ったが秀吉が後に道薫に改めさせたという説も。