オリラジの中田さんが中田で笑うには知性が要ると語った件。何でも冗談で笑うにはある程度の常識が要るとは思う。信号無視は当然と思う人に、普通の人が「赤信号だけど渡っちゃったw危なかった」と語っても、「だから?」となって話は盛り上がらない。だから知性、というより常識を高めておくべきだね
学業で競争を過度に意識しない方法はあるのだろうか。模試の成績や期末テストの順位をどう捉えるか、どう反芻するかが重要だ。具体的には一つの問題ブロックにどこで躓き、どこで定義・公式を間違えたか。論証過程で必要な知識を過不足なく持っていられるのか、が学業専念の本題。順位や偏差値は別だ。
電車内で国民民主党の榛葉幹事長のショート動画観るのは普通に楽しい。怒りの反共産発言は政治家の良心か。産経記者の大橋さんとのやり取りは何故か楽しんで観れる、ほっこりコンテンツ。立民の小西議員は必ず憲法学者として帰ってくる。オラはそう信じている。
良いテキストに出会うと、講義は捗る。自分はテキストを買うとき、定義を地道にするものを買うようにしてる。というのも、先ずどこで論点になるか、どこの理解に定義から応用するスキルを使うか。少なくともテキストとはそういう初めのテイクオフをきっちり説明する内容のものが必要である。
次々とスト6の動画が上がっている。ストリーグの前哨戦かのように。板ザンさんやときどさん、ストーム久保さんにかずのこさん。私が応援しとるトッププレイヤー達がリーグで競争する。こんな嬉しい事はない・・。特に楽しみなのは、今回復活するかずのこさん。配信はやってたが、本格的に競技に戻る。
すぐに他人と比べる癖のある人は、苦しい重荷を背負う必要もなかったのに、敢えて背負う難儀な人である。ポテチ、じゃないレベチという言葉も自らの立ち位置をメタ認知する個性の没却的な十字架であるといえる。主観的が悪のような科学至上主義が跋扈していた頃、客観的な成績が全てだと。相対的だよ。
国会議員のお仕事は人と予算をあてがう事で、立法府としてやるべきは行き過ぎの規制と財源を組む手配をする事であると思う。政治は丹念に立法事実を精査し、大きくは国防と経済の二大予算をこしらえる事にある。その中でヤングケアラーという当人にとって不可避の困難に如何にコミットできるか。
今一番国民が怒らねばならないのは、国防予算と少子化対策予算の財源を岸田政権がハッキリと真正面から論じない事だ。この二大予算の財源を責任もって且つ痛みも我々国民が耐え得るような結論を得なければ、岸田政権は取ってかえられても仕方ない。全世代対応型の社会保障制度を作るには、何がいいか