永禄11年(1568)4月15日は足利義秋が越前一乗谷で元服し名を義昭と改めた日。兄義輝殺害後に幽閉されたが脱出し前年9月越前に逃れていた。頼った朝倉義景が元服の加冠役を務めた。義昭は義景に再三の上洛を求めていたが動かない。この3ヶ月後義昭は岐阜の信長を頼り越前を去ることになる。
天正元年(1573)8月20日は越前一乗谷の朝倉義景が信長軍に攻められ41歳で自刃した日。義景は浅井長政の援軍で近江へ出陣するも撤退途中で壊滅的な損害を受けた。一乗谷は信長軍に焼き払われ従弟の景鏡の勧めで越前大野の賢松寺に逃れた。この日の早朝、信長に通じた景鏡に襲撃され自刃した。