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【百年ニュース】1920(大正9)3月29日(月) ハバロフスクから敦賀港に帰着した引揚者の談として、パルチザンとの衝突でニコライエフスク領事館が焼失し石田虎松副領事生死不明と伝わる。尼港事件に関する初報道。→解氷を待ち多門二郎大佐の救援隊が到着したのは6月3日。

【百年ニュース】1920(大正9)6月3日(木)早朝多門二郎大佐の救援部隊がニコライエフスク到着。全市が火焔に包まれ、トリピャーチンはじめパルチザンはすでに逃走後。墓地に避難していた市民約70名を発見。ロシア人のほか中国人4,米国人1。上流マゴ村で中国人妻妾となった日本人女性14名生存の報。