凄い法律がある。制裁対象の戦争国の資産を自国で差し押さえている場合、その差押え財産の含み利益分は差押えた国が自由に使えるという。こんな法律あったんだな。まあ今のはウクライナ戦争の話でEUが露の財産の含み益を使える、という事なんだが、しれっと新聞に書いてあったので驚いた・・。
国語なんて勉強しなくても点取れるでしょ?こんな戯言は散々耳にするが、多くは誤解と思い込みに依るものである事は指摘せねばなるまい。共テの現代文、古文漢文はいわば理屈の追い方の経験で無駄な時間を省ける。一見暗記、のようであるが、経験は立証過程の追い方であり、体得する技術なのである。
国立大学授業料見直しについて。いよいよそこにも手をつけるか、という感じだ。元々国立って大学には入りたいけど、私大程の授業料は難しいからって人が入る処であった。国立の授業料が安すぎるとは昨今では言えないのに、実質税金支出は削減するって事だろ。やり方がえげつなさすぎる。
歴史に名を遺したいという野心を口頭で叫ぶ小学生達とすれ違った。まるで幕末の頃の少年達のようだ。志士として名を挙げようとするその気概、私も昔はそうだったのかなと思い返してみる。歴史に名を遺すって悪名もある訳だから、出来れば真っ当な事で有名になりたいね。水原一平のようでなく。
テイク2の東貴博さんが駒大退学したという。三年で単位は全部取って、四年目は卒論もなくただ在学しているだけで、卒業資格持ったから就職という事でもないので退学を決断したようだ。これが法学部の悪夢である。卒論がないのは四年目に何もする事のない人を創ってしまう。政治学系は特に暇だろうし。
Y新聞の記事によると今度の政治資金規正法改正案にて自民が公明と維新に譲歩したらしいのだが、正直5万円超は記載されるというのは、新人議員にはキツイという意見があるのも解らんでもない。がしかし、政治の信頼を回復するにはある意味ラディカルな判断も要ると思う。政権与党の覚悟を問われる。
物語を創る課題があって、課題曲をヒントに創る内容だが何故か自分は壮大な宇宙の戦史を描いたのだ。当時から作家に憧れていた自分がそのような高揚感を覚える課題を描けたのは、本当に先生に感謝だった。もう少し物語と触れ合いながら、楽しい時間を過ごせれば学生時代も感慨深くなったものだろう。
お笑いサークルを批判する鬼越トマホークだが、私はサークルが出来る自体は健全な流れなんじゃないかとも思う。YouTuberの水溜りボンドだってサークルのメンバーだった。お笑いというカルチャーを体現しようとするムーブメントとして面白いと感じたけど。
国立大学の学費が上がるというと、豊かでない人の学びの機会を奪う事に繋がりかねない。ならば所得別の学費納入の基金みたいなシステムを創るとか様々な公正を図るのが筋でないか。
上手くいかなかったり挫折したりした人って時が止まったような感覚を覚えるというけど、破竹の勢いで全部手に入った人が急転直下で失うみたいな報道を見ると隔世の感なのだという。そんな記事を見て、自分はどうなんだろうって思ったら、決して順風満帆でもないし、今でも足掻き苦しんでる。これが人生
大学は飲みの会で専攻は何であれ関係ないだと??私は良い成績修める為にガリ勉したんだが、ガチムードが敬遠されたのはそんな命題のせいかよ。先生が学生に聞くな!って言ってたのは、先生自身が解ってなかったからだよ。おかげでその学校では全く講義が意味を成してなかった。な〜んじゃこりゃ。
ハリウッドに憧れるJRPGが増えすぎだと思う。音楽もイラストも脚本も、そしてバトルシステムでさえ。無論開発の際メルクマールは必要だし、何かに触発され考案できるシステムもあろう。所謂世界標準というが純粋にハリウッドを意識してるのがバレバレで、作品そのものが既視感なのである。
コスパ高めの読書術ってあんのか。学部時代先輩が専門書読むのだるいと言ったのに対し、不遜な私は書いてある事を理解する読み方をすればと返した。よくよく考えれば生意気な後輩である。私は読書術をメディア等で聴くとき、それは小説読むときの話で専門書読むのは又違うだろと思った。自分で考えよ。
疲れてくると活字が読めなくなる。何時間も読み続ける人って少ない。読書って筋トレだから、三時間くらい経つと集中力が切れ始める。尤も、普段余り活字読む事ない人は夜通し小説を読みふけるという荒業が可能だろう。それでも活字を読むというのは、メンタルにガツンとくる。適度な休憩を取ろう。
成績の伸びる学生さんの特徴とは。挫折や悔しい思いをしたり、兎に角逆境に身を投じた学生さんの方が勉強にしがみつく気がする。馬鹿にされたり、見下されたりする経験をしないとかえって自立心が育たない。自分でやり抜くという気概を持たないと、評価はされにくいだろう。
今、書店が大不況というのも解る気がする。価格設定が高価で、気軽に読もうとは言いづらいものがある。ハードカバーから文庫落ちを待つのもある意味仕方ない。今は書き手が多すぎるという理由も挙げられるが、それはどうかな?ある意味発信者が多い、というのは在野の声をより汲み取りやすいと思う。
人は怒りが燃え盛るとき、どう収拾するかが腕の見せ所だ。人にキツく当たるか、一人でがなるか、はたまた籠るか。そもそもどうして怒ったのか理由を考えると、それが些末だったりすると怒るのも恥ずかしくなったりする。怒りのコンロトールは社会人にとって、重要な技術だから。
鼻につく文章は書きたくないし、かといって謙遜まみれのじゃあ書くなよと言われるくらいのエクスキューズもしたくない。政治学やってみなよ、合ってるよ?と言われた何とも言えぬ脱力感はよもや誰にも解るまい。政治というパブリックフォーラムで仕切る虚しさを塗り替える感動は余り感じ取れない。
エッセイに挑戦しようとしたが、思った以上に展開力を試された苦行である事を感じた。さくらももこさんや色んな著名な作家さんによる風刺の効いたエッセイ、というのはただボーっとして書かれるはずもなく、精巧で緻密なネタと切れ味ある読後感を仕込んだ脚本の体である事は指摘せねばなるまい。
大学で学んだ事は大きな財産ですって、ホントに〜!?疑わしいですね。勉強面ではそこそこで、単位取るためだけの4年間だったろが。でもそんなの関係ねぇ〜!そんなの関係ねぇ〜!ハイ!オッパッピー!小島よしおさんも笑ってるぞ!
トランプ政権が再誕したら、恐らく極東アジアは日本と韓国で何とかしてくれと言われる気がする。米軍の規模も世界各地で縮小させるだろう。国内の経済テコ入れに力を入れ、他国に無関心を通す、其れが米国ファーストだから。
帰宅してから沸々と何で私が政治学に向いてるからと他人様からご指摘を受ける理由を考えるが、正味嬉しくない。政治はウォッチしてるが、それを学問的に解釈するというのは過剰なのではないかと思える。だったら、私はもっと専門的な社会科学をやりたい。政治学ってメディアの落としどころだろう。
オレンジが不作というが、今んとこ私はガブガブオレンジジュース飲んでる。今日はオランダツアーを写真にて振り返った。海外のホテルはバスタブがない場合もあり、気休めにもならない。でも食事は良かったりと一長一短。オランダも良いがやはりカナダやオーストラリアの方が過ごしやすい。
日本国内を旅すると、いつになく風景を求めるようになる。旅と風景はワンパックなのか。地方の温泉を周るのは、疲れと旅路の交点であり、疲れた身体を休ませる温泉の効能こそ、旅の仕上げに相応しい。旅館のお食事も楽しみの一つ。美味しいお酒とご飯を美味しく頂く事は旅の醍醐味でもある。
基礎から学ぶのは常識がないと出来ない。皆すぐ応用発展クラス目指すんだけど、それで良いのか?基本を押さえるのは、謂わば命綱を作る作業に等しい。勉強の成果が出るにはタイムラグがある。だから、基礎の積み重ねが日々の努力には必要だ。私は肝心の基礎固めを手を抜いてたから、中々成果無かった。
ロンドンに行きたい。ハリポタワールドも楽しみたいし、美味しい紅茶も頂きたい。ちなスナク首相が議会解散したという報道が。保守党は巻き返せるのか?政策の成果を掲げる首相と、雇用の回復を掲げる野党。先ずは高橋洋一さんの解説を待ちたい。
本屋さん要不要問題が挙がってるが、今までの売方では難しくなってるのではないかとも思う。定価が絶対不動で、割引は一切ないという販売法は、消費者を躊躇させる一因だと感じる。しかし、実際本を出版し流通させるコストを回収するにはある程度の担保が必要なのも判る。書店の定価、これがネックだ。
東大、早慶もGWに授業という荒行に敢えて苦言を呈する一国民。15週ルールって二学期制の条件だろう。学生はあくまで自由を後ろ盾に好きな活動や学びを四年間享受すべきなのであるはず。私は勉強の虫とか呼ばれたが、ろくに講義出てない奴らがA取って、ホクホク顔だなんて日常茶飯事だったけどな。
股関節が硬すぎる。これではコスパが良くない。身体の効率的な動かし方は、先ずはストレッチ。頭からつま先迄ほぐしていく。私の場合は、股割りするのがマスト。之こそ荒療治ではあるが仕方あるまい。便秘の元でもあるからね。
アルティマニアが好きで、FFやサガフロ、聖剣のを集めてる。クリエイターの方々の対談や裏話と各キャラの説明が好きだった。FF12のアルケイディア帝国の組織図なんかを見るのも楽しい。聖剣LOMのボスキャラのイラストはインパクトが凄い。武器の強さでゲームの戦闘の展開を妄想するのもおk。
下らないと切り捨てる判断が前のめり過ぎると思う。自分の持つポテンシャルを発揮するには、色んな可能性をチェックし観察する辛抱強さが要る。学校の授業は無駄、予備校に専念すれば良いって人見かけるんだけど、言うなれば学校はリーグ戦、予備校は代表戦。どちらも手を抜いたら転げるだけ。
紀伊國屋書店にてテキストを何冊か買って帰ろうと思って、色々ネットでレビュー見ながら吟味してたんだけど、結局新刊の小説二冊買って帰る事に。お笑い芸人の永野さんの好きな漫画も色々見てみたけど、兎に角今は面白エピを楽しみたいので、小説とかが良いかな、気分的に。
私は勉強は筋トレだと思っていて、程よく一定程度やるのが良くやり過ぎは駄目だと信じてる。だから今論点を整理するのは自分の知識を確認・強化する為なんだ。昨日より一個でも知識が増えれば、それだけで快感を得られる、そんなポジティヴな発想で取り組みたい。
お前がクラスのリーダーなんだから、お前がしっかりしないでどうする!?と昔塾の先生がクラスの秀才君に熱く指導してたなあ。振り返れば勉強ってしんどい事ばかりの苦行だった。だから誰かを教えるとき、楽なやり方を提供しようとするのかな。先ずは英語から始めようよ。
広く世界を知りたくて、海外旅行したが、結局のところ今の自分の専門性を評価してくれる所で働くしかないと確信した。学部時代の苦労は今の自分の糧ではあるが、実質外出て働くというのは、それらを超越した経験のお話だ。だから、今苦労して働く事こそ、将来の為の専門性磨きなのだ。
コムドットのやまとさんが切り開く新時代、楽しみにしてる。彼等にしか出来ないパフォーマンスを楽しめるのが、YouTubeだ。上智大を勇退して学業にも区切をつけ、責任を結果を出す事で果す彼の潔さは仮に指定校推薦だったとしても申し分ない!やまとさん、どこまでもついてくぜ!
法学部政治学科の落とし穴。専門科目も初見で解るし、リポートも教科書があるし法律学科と比べ、判例も逐一調べる必要もない。政治学科は暇である。国際政治とか取った暁には、報道で知ってる事をわざわざ先生の書かれた本を高値で買って講義にて聴かされる訳だ。他学科の批判も良くないが事実故。
小西洋之議員が嘗て国会質疑で安倍晋三元総理に「芦部信喜という方をご存じか?」と質問し、安倍さんが存ぜぬと応えた。それから「人権条項で最も重要な条文を一つ挙げよ。」と問いかけ、安倍さんは内閣として何れの条文も大事だと応えた。小西さんは特定の視座で万物を唱えようとするが、響かない。
政権与党は今度の衆院選に向けて定額減税と規正法改正を積み重ね、大義名分に代えたいと思っているだろうが、肝心の野党が共通軸を導出出来ず、選挙そのものが妥結による与党政権維持という形になりそうだ。立民にもう少し包摂的な度量があれば、急転直下で支持を大量獲得出来そうなものの、勿体無い。
大学に入った頃、先生方とご飯に行った事がある。演習系の講義御担当の先生とその仲良しの先生と私含め学生数人とで行った訳だが、兎に角先生方はお話が面白い。大学の講義も面白いし為になる内容で、そのご飯の会もずっと私らは笑いっぱなしであった。ただ、評価は厳しい物であったオチがある訳で。
恨みつらみを全て飲み込んで、未来の為に手を組む。少年誌に有りがちな展開だ。いや、日本史で言うと薩長同盟とも言えるだろう。私の経験上ライバルと組むのは個々がそれだけの強みを持ってないと、威力を持ち得ないと考えられる。だからこそ自分で成り上がり、強みを活かすべき。
金融政策を止めるのは、時期尚早だと言われてる。インフレから賃金上昇に繋がらないのは緩和策が二度にわたる消費増税でブレーキを掛けられたから。何れも高橋洋一さんの主張だが、株価上昇がそれを裏付けてる。そして更にNAIRUを見て、その図に沿った動きをしているだけだから。
運命に殴られても痛くも痒くもないと、こんなメンタルを構えてる人になれればと何度思った事か。DOUTORでアイス珈琲飲みながらふと思ったな。さ、書店に寄って、三体でも買おうかな。
論点をまとめたり、論理の中身を具体化させたり、勉強のいろはを学び直すのは、実に多くの教訓を得られるものだと思う。肝心な事は何事も遅過ぎる事は無いという事だ。社会という草むらから仕組を見通す事は何時だって。
東大をはじめとする、国立大の学費値上げの報道が出ているが学生はどう感じてるか。先ず上げられる上限額が10万円までであり、仕方ないという意見と弱者を虐げるものだという意見もある。東大に入る学生も上流階級の家庭が多く、国立大の本来の教育機会の平等の趣旨からは外れてる気がする。
自分はオーストラリアが一番行って良かったなと感じた。大らかで色んな人種が集まり、食事も美味しいし種類も豊富だから。海外行ってよく見るのは、働いてる人だ。仕事に対する姿勢を見て、その国の国民性が窺える。大事なのは、その国の言語を聴ける力だと思う。話すも大事だけど、聴くのも同じ。
宮田愛萌さん。本ツイにてその存在を知った訳だが、作家さんと知って、モモコグミカンパニーさんと系統としては被る処があるとも感じた。女性に依る恋愛小説が評価されるのも解るが、願わくば大河の様な大作にも挑戦して頂きたいな。女性の観点による大局とその周りの相互作用を描いてもらえれば。
努力の裏付けされた人こそ自信を深められるか?との問いに、暫く答えを窮するのがある程度の努力家の体感なのではないか。遊びも余暇も全て拒み、ひたすら学業に懸けた結果の今の不遇ぶりを感じる人がいるのなら、それは教訓へと昇華されて不思議じゃない。そんな人に光を当てれば道が開かれるのでは?
高校の勉強を振り返ると肝心の教科書に立ち返る事がなかったのが反省点だった。各教科の先生方が自作のレジュメを作ってくれたのは嬉しいが、教科書というのは原理原則を載せてるから、決して蔑ろには出来ない。私は数学を解く際、公式導出に拘った。使える知識が詰まってるからだ。定義を押える。
私は政治学に憧れた事はない。何故なら誰でも公平に語れる分野であると思うからだ。その為の素養として政治学入門といった導入科目が大学では用意されてるが、単位は取れても何だったんだという読後感である。所謂法学部における政治学科の類は箸休め的なもので、演習しても分かち合う事も余りない。