人の肉体に根差した本能からくる悪徳は御することが難しい。だが人は罪を犯しつつも神から授かったつとめを果たすことができる。己の昏き欲望を後ろめたく思うこともあるだろう。それはそのままに、ひたすら我にできる「善きこと」とは何かを考えて、それに目を向けて行う。その所作の中に救いはある。
なぜ死にたくなるかというと、科学に照らし合わせれば、その先に無があるという確信がもてるからだ。苦悩からの解放。それを否定したいのなら、その先に懲罰的なものをすえるか、生に無条件の社会的義務を背負わせるかだが、それは万人につきつけるのが果たして善きことなのだろうか?
人々の集合意識(無意識?)が1つのことに集中するときって、なんだか息苦しくなるんだよね…。「みんなで同じことをしましょうね~(それは「善きこと」「正しいこと」です)」っていう圧力みたいなものが、いつもよりぐわ~っと高まって、押し寄せる・取り囲む・引きずり込もうとする……みたいな。
こんにちは。今日は早朝からテンションが上がることがあり、未だにテンションup中です。やはりテンション上がっていると気分やメンタルは最強ですね(*^¬^*)午後からではありますが、このブログを読んでいる皆さまにも良い出来事があります様に…来ます様に。