慶長8年(1603)4月10日(5月3日説も)は名古屋山三郎が死去した日。主君の森忠政から同僚家臣の誅殺を命じられるもこの日返り討ちに。はじめ仕えた蒲生氏郷は美少年だった山三郎を初見で少女と間違えた逸話も。武将としてよりかぶき者として歌舞伎や浄瑠璃の題材として名を残した人ですね。