出会った人はどんな人であろうと自分に必要な学びであり気付きだったんだな。たとえイジワルされたり、ヒドいことされたとしても。
その時の失敗や停滞は後に見れば大したことはなくて、飛躍の原点になったり、目標に繋がる経験になっていることはままにある。
あまり小難しく考え過ぎかもしれません。学問などもそうだけど分析に次ぐ分析で研究領域も細分化し全体像がどんどん見えなくなくなっていくのは良くある事。そして専門バカが量産される。
子供がイヤだと言ったら理由は聞かない方がいいかもしれない。子供は感覚で生きているから理由をムリに作ることもある。そうなると本心ではないのでいろいろな歪みが生じる。イヤならイヤ。これでいいのだ。大人もたまには感覚に委ねたら良いと思う。
学校がツラいくらいになるんだったら行かなくて良いと思う。一度離れてみたり、休むくらいはどうってことない。人と違って良いはずなのに、学校は人と同じことを根本に求めているからツラくなるのは当然。先生方も、学校以外の経験が少ない中でのアドバイスになるから、学校に戻そうとする。
正解を求めたり正義であろうとしたりするけれど、切り取り方や視点なとによって、どのようにも変わってしまう。絶対と言うことはあり得ない。教育などにより、正誤に慣らされている座標を外した方が良い。特に生き方などに正解などはないと言い切れる。
ツラい状況を抜けたときその時の登場人物が小さく見えてきたら自分の視点が上がった証拠。
やることが多くなってきた〜😂立ち上げだからしょうがない😂おカネはどんどん出ていくし😂ちょっとクールダウン😆#ノンアルクラブ #スマドリ #ノンアルコール #ノンアルコールビール
大まかな流れが良ければ、小さなところでのアクシデントは意に介さなくてもいい。少しくらいのお金の出費、ちょっと思い描いてたものと違うなど、ビミョーな違い、微調整は出てくるけど心配するな。