あってもなくてもいいし分からないのは当たり前
問題は作らなければ問題にならないで書いた通りであるけど、
もうひとつ。
あってもなくてもいいと、もしくは、してもしなくもいいとか、これらをどんなことにも当てはめれば気楽に過ごせる。
例えば、
彼女や彼氏?今の子は付き合いたいとも思わないかもしれないが、おじさんたちの思春期の頃は、切実なものだったけど、
「彼女がいてもいなくてもいい」
なんとなく気が楽にならない?
ならないか笑
これが欲しいとかになっちゃうと執着が生まれ、何がなんでもみたいな必死な形相や態度にガツガツしたところが出てきて、
結果、女の子から怖がられ、ますます出来にくくなると言う悪循環に入り込む。
欲しいんだけど、いてもいなくてもどっちでもいい。
そして、次が大事なところ。
いてもいなくてもどっちでもいい、だって今が楽しいから。
というふうに、今にフォーカスし、力を抜いていると、
あら不思議、
最初に意図した「欲しいけど」が
叶うことがある。
こんな感じでものごとや現実を気楽に捉えることを勧める。
不登校のことについても。親も子供も「学校に行っても行かなくてもどっちでもいい」とつぶやいてみよう笑
そしてそこに付け足して、
分からないのが当たり前。
行くようになるか、行く気になるか、行けるようになってくれるか、…分からなくて当たり前。そんなの心配したところで誰も分からない。
だから働きかけをと思うかもしれないが、焦りからくる働きかけはロクなことにならない。
だから、もう一度、
「(先のことは)分からなくて当たり前。」
そんなの当たり前じゃんて思っているけど、
ホントに人は先を心配したがる。
だから占いの類は廃れることもない笑
話は逸れるが占いは自分の言って欲しいことを言わせているだけなんだよね。
潜在意識的に。
もとに戻すと。
ずっとこのままだったらどうしようとか。
先を知りたい、
せめて見通しを立てたいと
ジタバタして原因から結果を推測したり、可能性を予測していく。
でも思い通りの結果になることなんてほとんどない。
予測もほぼ外れる。
でもそれが後々考えると良かったことに思えたことって多いだろう。
そう、分からなくて当たり前で、
失敗と思ったりしたことも、
成功への分岐点であったり、
短いスパンでの勝ち負けや優劣、成功や失敗でなく、
視点を上げてみると、人生を一部の切り取りで見るのではなく、
長いスパンで見返すとき、
人生のあの時の結果って良い解釈に変わることの方が多いと気付く。
一部を切り取るのではなく、全部繋げる。
そうすると、
今の時点で分からなくても
大丈夫なことだけは分かると気付く。
少なくても今の時点で生きていれば、
今までどんなツラいこと苦しいことから抜け出して、
今にある。
もう一度、キーワードを繋げる。
「どっちでもいいし」、「分からなくても大丈夫」。
だったらどう転んでも人生は大丈夫と言えるよね。
眉間にシワを寄せて、切り取った事実で、問題だ問題だと右往左往するより、
ふわっとぼんやり構えていた方が解決の近道になると思う。