274.彼女は優しかったので、ずっと傍にいた。彼女は愛しかったので、ずっと傍にいた。彼女は狂おしかったので、ずっと傍にいた。雨の日も、風の日も、雪の日も、晴の日も。陽だまりの中、彼女は眠り、移ろい、視線を上げる。窓の外は今日も変わらない。彼女の名はニーナ。時空の彼方にいる。
276.彼女はグルメだ。階下に降り、冷蔵庫の前で待つ。男が扉を開けけると、昨夜茹でた鳥のささ身を取り出し、レンジで数秒温めて、手で千切って、小分けして皿に盛る。マドモアゼルだけに許された贅沢な朝だ。男は薬缶で湯を沸かし、朝からカップ麺をすする。彼女が幸福であれさえすればよいのだ。
275.彼女の朝は早い。定刻になると一緒に寝ていた布団から出て、その男の胸の上にデーンと座る。香箱座りだ。お尻を顔の方に向けて、尻尾でスワイプする。2・3回のスワイプで、男は目を覚ます。彼女は満足げに鳴き、朝食を要求する。この朝のルーティーンは、休日でさえ守られる。神聖な儀式だ。
277.優雅な朝食後、彼女はブラッシングを受ける。専用の櫛で長毛を整えて行く。抜け毛が一玉できる日もある。一通り終わると、彼女は毛繕いする。男の手が伸びる。彼女は愛されるため生まれた。彼女を甘やかし、甘やかし、甘やかす。猫は人類が経験している病だ。宿痾だ。決して癒される事はない。
278.彼女は眠っている。男は『形而上学』Z巻を開き、机の片隅で丸くなっている彼女に触れながら、ノートに古典ギリシャ語を写経する。リッデル&スコットのレキシコンも横にある。一説よると、猫とは寝る子、寝るという言葉に由来する。言葉の全ては動詞が先か名詞が先か。彼女は未だ眠っている。