父はサイコパスとナルシストだろうな。俺はアンチサイコパスとナルシストだから、サイコパスとアンチサイコパスが一緒に暮らすと本当に地獄だな。サイコパスは自分の利益のために、アンチサイコパスは他人の利益のために、アンチサイコパス側がいいように使われる立場となる図が完成する。面倒だな。
母は自分が見捨てられる不安から友達の事を馬鹿にしてくる。今の友達コミュニティの事も馬鹿にされた。俺の事を馬鹿にするのは好きにすればいいが友達や好きな人の事を馬鹿にされると殺意が湧くほどイライラする。あれだけ頑張っている友達や好きな人の事を馬鹿にされると殺意が湧く。ほう、とキレる。
https://note.com/serene_moose5248/n/n22258757712f 良く言えば責任感がある。悪く言えば自責思考が過ぎる。そうだと分かっているのにやってしまうのはなんでだ?アンチサイコパスや他の観点から見ても人のためにはならないから?それとも先にある可能性を危惧しているから?最適解ではないから?どれ?
仕事場の人達に「優しい」と言われる。お爺さんお婆さんにも優しいと言われたけど、そうなのか?よく分からない。そして、もう一つ「1人で全て抱え込みそうなタイプ」とも言われた。アンチサイコパスは人のために行動するから必然的に頼みごとを断らずに溜まっていく。もちろん知ってる人だけだけど。
https://note.com/serene_moose5248/n/nc1d9232095cb 俺は素直さとか性格の性質を使ったり、良心が痛むから心理戦術で失敗する。だから心理戦術を考えることが難しい。父はサイコパスだから共感性のカケラもない。だから心理戦術までを組み込んだ確かな戦術が組める。俺、戦術組めねぇんだけど?
アンチサイコパスだったり、SPSだったり、軽度の統合失調症だったり、IBSだったり、難解な人生だったり、俺ってめんどくさいなと思う。俺だったら、そういうたくさんの情報を聞いたら、その人の本当に素敵なところを見出そうとするが、一般的な感覚だと重くて嫌なんだろう?俺って面倒だな。
友達と一緒に歩いている時に、俺はよく周りに警戒心を張り巡らせて歩いている。「どこから襲ってくることがあるか?何か落ちてこないか?」とずっと考えていることが多い。だから、たまに友達の話を聞いていない時がある。本当に失礼なことをしているなと思うが、昔から癖で黙ってやってしまう。
アンチサイコパスっぽい特性で言ったら、1日1回以上は友達がもし襲われたらというイメージが湧く。その時は、「体術を使う暇があるなら対処する。間に合わなくて友達が刃物や拳で貫かれそうなら俺が刺されれば良い。」と思うことが多い。いざって時には、恐怖心ゼロにできるから、何も怖く無くなる。
アンチサイコパスを抑えて生活したら、周りの人に「優しいね」と言われる。自分では抑えているから「どこが?」と思っている。1〜3日に1回は誰かを助けている気がする。気になったら声はかけている。これのどこが優しいのか、よく分からない。当たり前のことを当たり前にやっているだけなのに。
アンチサイコパスっぽい性格は、普段は見せないというか、そもそも行動が危険すぎるから、友達の前では「危機的になっても自分を犠牲にすることはある」程度にとどめている。だが時々頭の中で、「こうなった人がいたら命を賭してでも助ける。」というイメージが出てくるのも確かだ。ま、言わないけど。
俺が誰にも見せずに隠しているコアを突いてきたから、そのエンパスの人は遠ざけた。友達として切り離した。なぜなら、そこだけは気づかれたくないし、誰にも知られたくないからだ。とても危険なことは理解している。だからこそ、誰にも迷惑をかけたくないから、知られずにいたい。ただそれだけだ。
昔、エンパスに初めて会った時に、「君の本来の性格は、自分が危機的な状況でも、人のために死ぬことができるし、人のために自分が犠牲になることも厭わないだろう?」と言われてゾッとしたことがある。なぜゾッとしたかって、その通りだし、いつもたくさんの仮面で隠しているコアを突かれたからだ。