『合理的配慮』の末の、 人格の果てしなき瓦解。 辻褄としての私の身体。ソレダケ。 紙と紙を重ねたときのズレみたいな自我。 決して完全にはなくせないエゴ。 実らぬ言語活動。ソリャソウダ。デモ。 「だから」ではわかっても、 「なのに」でわからなくなる。 「にも関わらず」な心の不条理。
お山の上にさりげなく掛けられていた日めくりの今日のことば。蝉の声をききながら800段の階段を登ったごほうび。