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#101 101回目の風呂坊主

#94 大人の事情

そういえば行ったことねえなあ、と東京ドームん所の野球殿堂博物館に行ったら長蛇の列で驚き断念した。WBCのいろいろが陳列されてる(らしい)から巨人vsヤクルトのついでにみんな観に来てるんだろうか。にしても、あれは一時間くらい並びそうな気がする……が、そこまでかぁ?

飲んでたら投稿すっとばしちまった。まぁそんなものかもしれぬ

最近話題になっとったカフェインのドすげえ缶コーヒーを飲んでみたが、この舌のしびれる感じがカフェインなのか。このしびれをごまかすための甘さと濃さなのか

「人を傷つけない笑い」は空虚である、というのをうまく説明できる方法はないか。そも、笑いが身体性を獲得する、つまりは実感のレベルに根ざすようになるとどうしても差別的にならざるをえない(ので、実感のない、テキスト上の笑いだけに言及すると、一応笑いにはなるが、やはり空虚である)。

どこのメールサービスとは云わないが、未読メールがなくなると「今日もメールを全部読みました!」というポップアップが出るのにちょっとイラッとしている。読んでねえよ捨ててんだよ……

「みな同じ人間であることを前提にすると、全方位に気を使わなければならなくなって窮屈になる」という問題は「少人数でやっていたイベントのときは面白かったのに、人気が出て人数が増えると明確なルールを定めねばならなくなる」とリンクし、この辺はもしかするとあたしの根底にあるテーマかも知れぬ

キャベツの千切りと同じ感じで玉ねぎのスライスをバクバク食っていたらあきらかに胃腸がぶっ壊れている

なにを書けば有料記事にしていいと思えるのか

#89 観客論II:悪口の系譜

ある素材をいい感じに加工して配置する、という意味において「すべての制作は編集である」という(少なくとも言葉上は)置換は可能である。――と、そのへんのスタンスがブレなければいいのかもなぁ。どうしてもどこかで何かが降ってくることを期待してしまい、そこに才能の有無を見出そうとしてしまう

獲得

棲んでいる屋敷の共用部分の電源を切る工事があった結果丸一日インナーネットリにつながらず不便をした。「共有部分の電源を切ります」ぢゃなくて「ネット使えんくなるで」くらいのことは想像して云ってくれりゃあよぉ、という気はする

これだけくたびれた感があるのも久々だなぁ。土日は全力で無気力に生きる

空也上人像の展示をどっかでやっとるらしい(電車で広告観た)が、あの「南無阿弥陀仏が口から飛び出す」造作にはフォロワーがつかなかったんだろうか。いや、ついていたとすれば「様式」が生まれていたはづだ……知らないだけかもしれないが、針金かなんかでちっさい仏様を繋ぐのって他にあるんかな

ティアキン始めているが、いまのところ一番興奮したのは洞窟を自分で作ったハンマーでボリボリ掘削していくあたり

夢:ふだん使っているタブレットPCのバッテリーが餅のように膨れて熱くて持てない。夢のわりに「熱い」という感覚があったなぁ。

昨日の夜は「この炭酸グレープフルーツの割材で焼酎をちょっとだけ割ればものすごく強まったストロングゼロができるぞ!」とかいってはしゃいでいたらしいのでもう駄目かもしれない

校閲とは

いろいろ考えてみたが、自信の無さを払底できるほどの実績がないとだめなんであった。どこかで「自分はよくやっている」と認めていない。実際の現場では腰痛だの気力だのと限界を迎えていることがあるのにな。

坂本太郎『最後の楽園』 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0C68YZD28?ie=UTF8&psc=1&linkCode=sl1&tag=banric-22&linkId=5bb6f936b6d0c6d5a81d079165818675&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl とうとう出たなあ。単行本が出ないものかととうとう30年近く待ってしまったんじゃ……いまだに実家のどこかには当時の連載ページを引きちぎった

近所の某全国チェーンコンビニが前触れもなく閉店した。もしかして改装かしら、と公式サイトの店舗一覧を見ると存在自体がさっぱりなかったことにされており、すこしゾッとするなど

コミュニケーションの苦労が「出力の制御」なので非常に疲れる。ナニか喋らなければならない結果としてわけのわからないことを云いだしたり、喋り倒したりするのを一生懸命裏から引っ張ってセーブする。相手のテンションに合わす。こういうアクセルを踏みながらブレーキも踏むみたいな作業は、つらい

「ロング・ウェイ・ノース」観た。道中はかなり悲惨なリアリティを描いているので最後みんなで凍死するエンドかと思ったらちゃんとハッピーエンドになった、ということはそこに創作上の無理が生じており、その辺はファンタジーチックに押し切らないとやってけねーんだろうな、という部分が気になった。

昨今の「転校生がグイグイくる」アニメをはじめは娘の親目線で観ていて涙腺に来るものがあったのじゃが、回を追うごとに「おや、これはもしかして読者/視聴者層の女子が自己肯定感をあげてもらいたくて観るやつでは?」と思い始めた。何れにせよ面白いとは思うがレイヤーによって見えかたが変わる例だ

AIに人間特有のこだわりとか執着みたいなものが出せるのか、という興味はある。記号的なフェティシズムではなく。最適解ではなく。ただ「AI=最適解」という認識そのものが間違っているのだとすれば、そもそもおっちゃんはこの手の話題についていけていないことになる……

「本人を先頭に、あとから揃いのウィンドブレーカーを着たスタッフ数名がついていって後ろから囃させながらのしのし練り歩く」というスタイルの候補者がいるが、あれが本人にとっての「代議士」のイメージなんでしょうなぁ。身近な童謡に自分の名前を載せて街宣車で走るやつもおそらくそうだし……

昨日のカフェインましましコーヒーであるが、摂取から約8時間後にどーっと眠気が来た。わりとわかりやすく効き目が切れる

ノッポさんに対する郷愁はあるにはあるのだが、たまに関連記事で目に入るゴン太くんがあまりにもフワッフワのサラッサラなので脳内の記憶と食い違っている衝撃が大きい

「ポイントを外さず、なるべく少ない枚数の絵でどれだけダイナミックに飽きさせずに見せられるか」というのは実に俳句的だなぁ、とVtuberのMVを観ると思うのであった

陶器で青汁を飲んでいるとあとでスポンジで洗っても粉末が取れにくい問題

暖房をかなり徹底的に抑え込むことによって電気代を昨年と同水準に抑え込むことに成功したが、それはそれとして電気釜で1時間保温してご飯を温めるのと電子レンジ500W2分ご飯を温めるのではどっちが効率がええんかな、とふと後門川区。疑問が湧く

代議士候補者の名前を簡単な童謡にのせる手法はたまに見かけるのだが、やはり身内でウケているだけな感じがする。おじさんが中学生の頃に聞いた「しょーこーしょーこー」に勝るものはいまのところ出てきていない……逆にあれは「どうやったら印象に残るか」の研究の極北であろう……

いろいろな事件や出来事にいろいろな(自分の解釈に沿った)象徴性を付加することで誤る、ということがあるから、絶対性、いわゆる宗教みてえなツールが流行ったというのはあるのかもしれねえなぁ、とTwitterなどみてて思う

アマプラで「ぼっち・ざ・ろっく」観始めて6話目になるが、ぼっちちゃんの居づらさのロジックにたいする親近感がものすごいなー。当方42歳のおっさんなのにな。こんなに親近感のある登場人物を他に思いつかない

どうせ買ったんだから、とヘルメットをかぶるためだけに自転車に乗って買い物に行ってきた。なにか間違っている

もうええやろうとダウンジャケットをクリーニングに出したとたんにいいようもなく寒くなる

あらためて目に入ってビックリしたのだが、東京メトロの運賃がしれっと10円上がっておった。調べたら3月18日からとのこと。ただ、原因は「バリアフリー化の費用」らしいのよな https://www.tokyo-np.co.jp/article/233980

「思いやりを持て」という指導者は世の中にいくらもいるが、言葉だけが先行すると説得力を持たぬ。誰であろうが「お互いに気分良く過ごしたほうが効率も上がるしその後の発展にもつながる」という打算の上になされる行動を結果として「思いやり」と呼ぶのであり、順番を間違えると実は機能してこない。

虫歯の感じはないが右下の奥歯がパンパンに腫れて疼痛していた。たぶん免疫系なので痛み止めを決めつつオギョメケしているうちになんとなく収まってくる。おそらくは体がついていけなくなってるんだろうなぁ……

20年くらい前にはね、一之輔師匠の出囃子をCDラヂカセで流していたこともあるんだよ(溢れ出るクソどうでもいい自慢)。しかし笑点かぁ……そらぁ年取るよなぁ

WBC最後まで観た。点を取られても取り返してひっくり返す、という図が長年巨人ファンやってると思い浮かばねえのがわかる。いやぁすげー試合だった

昔からの習慣だが「有言したことは実行しない」。言った時点で満足してしまうのか、宣言は即ち完了であると心の何処かで思っているのかもしれない。現にしれっと始めたことは長続きしており、当記事のような「わかる」こと自体が善だとわかっていそうな浅い層がスキを押しそうな作文が大晦日まで続く。

誰もが「トイレットペーパー以外のものは流さないでください」という表記に違和感を覚えているが、かといって「ぢゃあより良い書きようはあるか」と考えてみるとなかなか穏当なものは思いつかないのであった。

返す刀で「リコリス・リコイル」6話まで観た。わりあい意図的にテンプレート寄りのキャラクターが配置される中で、千束の陽キャぶりが狂気を滲ませていて、よい。ほのぼのなようでいて微妙な、絶妙な距離感。

再生

幼虫社「きつねのよめいり」

今後もしばらく、おそらくは着けっぱなしにするだろう。「状況に応じて着脱する」ということほど面倒くさいことはない。そもそも、つけっぱなしにするコトでひげ剃りをサボれたのである。面倒くさいことはみんなマスクがカバーしてくれた。文字通りな!

この手の話となると「AIを使いこなす」よりも「AIにできないことはなにか」を模索してしまうあたりが思考の癖であるな

「冗談でも言うべきではない」と「冗談でも言わないべき」との(かけたい)圧力の違いについて考えている