#101 101回目の風呂坊主
101回目である。ここで殊勝にも読者の皆さんへの愛読御礼など申し述べれば真っ当であろうのは承知しているが、たまにイイネを付けてくれるひとがあって見に行けばどうみても自分の記事への誘導目的のことが多く、すっかりすれっからしになってしまうとあんまり感謝の念が湧かんのであった――というようなこともなるべく書かないようにして表面上はニコニコとしているのが(腐っても)人気商売の常であるというのはやはり重々承知しているつもりだが、それを真っ当な態度だと規定するとどうしても破ってみんな開けっ晒しにしてしまいたくなる、結果としてそういうのをよく思わない人の方が多い、がゆえに多くの記事は黙殺されるという始末である。お客さんのことよりも自分の生理のことを考えているんだな。ここもみんな読みにくいだろうなあ、と思いつつ書いている。
それでもなお、なんでまた続けているのか、といえば「なにか書いていないと書けなくなるのではないか」という強迫観念に依るところが大きく、などと言いわけめいたことを言おうとした直前、昨日のこと、今年の元旦から続けていた毎日投稿が150なんにちだかで途絶えてしまった。土曜日にゃなんとなくずーっと酒を飲んでおり、寝たり起きたりしているうちにサイクル的に1:40に目が覚め、あと105分早く起きていれば「がちょーん」でもなんでも書き残すことでひとつネタにできたのにな、と、久々に悔しい気持ちが明確に残っている。最近酒の影響もあんまりよくないんであるがそっちに深入りすると心配されるかもしれない(誰に?)ので書き進めない。
と、こういうしょうもなさを、内容の無さを面白がってもらおう、というのが基本線にあって、もう30年近くいろいろなものを作ってきた気がする。もっと云や、人の作るものにおける高尚な意味とか、青春の苦労とか、深遠なテーマなんかはおのおのが勝手に抱えている勝手な感情移入なのだろう、という姿勢でいろいろやっているうちにここまできてしまったが、そのへんの不毛さとか内容の無さもアタシなりの感情移入なのではないか、と問われると、少なくとも愛着ではないのでそこは違うのではないか、と思っている。いや、思ってないな、いま書いていて考えて、今現在、そう思ったのだ。
今回101回目ということで自己紹介的な記事(#1)を更新する気でいたが、まぁこの辺の鬱屈した感じはまんま現在の自分自身なので「まぁええか」という気持ちになっている。しっかし、記事だけで100回書いてきたけど、最初期に高校時代の同級生にもらった500円を除いては本っ当にビタ一文儲からなかった。まぁ自業自得なんだけど。単にこっちの姿勢が悪いんだけど。