何かを成すとはどういうことか?それはすれ違う人のために、心の中で親切なことを思う、という小さなことでもできることだ。例え死の淵に立ち、今にも燃え尽きそうな命でも…人は思いで神に捧げ物をして、つとめを果たすことができる。
人の肉体に根差した本能からくる悪徳は御することが難しい。だが人は罪を犯しつつも神から授かったつとめを果たすことができる。己の昏き欲望を後ろめたく思うこともあるだろう。それはそのままに、ひたすら我にできる「善きこと」とは何かを考えて、それに目を向けて行う。その所作の中に救いはある。
エゴイストでも自愛に満ちた人でもいい。誰にでも御心に沿ったつとめを果たすことができる。そもそも人も動物である以上、誰しも獣性を備えているものだ。己の卑しさを嫌悪して嘆くより、ただひたすらに神をあおぎ「どうか私のつとめを果たさせてください」と祈り働くのがよいだろう。
私たちはいろいろなそんざいにまもられている。だから安心して私のつとめをはたそう。今、私のいるところで