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いまのしあわせとは何か

自分にとっての今現時点での幸せは何か。ふとそんなことを考えてみた。


皆様ご存知の通り、僕はこの現時点で生活保護を受給していて、自己破産の予定がある32歳だ。人によってはフルコンボで人生終わりだと感じる人も多いだろう。僕が他の立場だったらきっとそう思う。だがもう生きるしかないので、なんとなく生きている。その決断がそうさせている。でもそんな今をくよくよと生きているのも性に合わないのでいっそのこと開き直って考えてみることにした。今現在の自分は何を望んでいて、これから先また何を望みたいのか、はたまた望めばいいのか。それらを自分なりに考察したい。


目の前にあるものとしてまず1番大きいのが、家。そして家具家電に少しの食料。こんなの生活する上で当たり前だ!なんて僕の前では言ってはいけない。とにかく必死、なのだ。寒い時期に暖かい風が部屋を包んで、暗くなったら明かりを灯せて、腹が減ったときにカップ麺を食べるお湯を注げること。これこそがもはや尊いことだと僕は思っている。草原でたまたま見つけた四葉のクローバーみたいに、あの生い茂る同系の草から一つ葉を伸ばしたあの物体を見つけること。それそれはうれしきことだろう。その熱量を、今の生活で感じとめている。素晴らしいことしかないと身に沁みる。


今までは実家で子ども部屋おじさんを続けていたわけだけれど、1人になったときに感じたものが大きかった。ある程度の部屋があり、エアコンは使えて、おまけに温かいご飯が自動的に出てくる生活を何年もしていると、感覚がすごく鈍ってくる。頭ではわかっていても心がありがたみを感じないのだ。


それに加えて、僕には所持金がない。たぶん15円くらいしかないんでないだろうか。細かく数えていないがざっとそれくらい。スーパーに売っているもやしにあと4円届かないというところ。非常に残念である。ごま油と醤油、鶏ガラがあればナムルの完成といったところだ。それにすら手の届かない生活をしている。とは言っても、極めて限定された話で、お金が今後一歳入ってこないわけではない。僕は精神障害2級で障害年金をもらっている。そのお金が入金されるまでのあと少しの辛抱だ。幸い、お米と納豆があるためそれで凌そうだ。インスタント麺はもうない。あとはパスタ用のボロネーゼの素。よし、今日はこれをご飯にかけて食べよう。できたらチーズがほしかった。


話を戻すと、自分にとっての幸せとは生活水準をグッと下げたところに落ちていた気がする。毎日美味しいご飯を食べれて、住む家があって、暇をつぶせればそれで充分なのだと。自分の自己実現に必要なのはたくさんのお金ではないと感じた。たしかにお金はたくさんあってもいいがない方が幸せ、なくても幸せな状態が1番いい。それでもって社会との接点は持ちたいので事業所へ行ったり、スーツを着て働いたり、ボランティア活動をしてみたり。そういったことが循環すると生活はうまくいきそうな気がする。


あえて言っておくと、僕は働きたくないわけではない。働ける状態にあると思うし、何より働きたいと言う意志がある。今の今ではとても難しいと思うが、徐々に体を慣らし、社会復帰して新たな生活を営めるといいな、そう願う。

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