日記(le 4 juin 2021)
歌人として致命的な欠点のこと
歌が暗唱できない。記憶していても上の句だけとか下の句だけとか、一部だけということが多い。早稲田短歌会の歌会に初めて出たころ、とにかく先輩たちが何か先行する歌の話題が出るとすぐにパッと暗唱できるのに驚いた記憶がいまも鮮明に残っている。僕が暗唱できないのは短歌だけでなく俳句や川柳、近現代詩でも同じ。短いフレーズを覚えておくのも苦手で、それは日本語だけでなく英語やフランス語でもそう。フランス語でとっさに暗唱できるフレーズなんて、
Mon Dieu, mon Dieu, la vie est là!
というヴェルレーヌの詩の一節(神よ、神よ、人生はあそこにある)と、
Jésus sera en agonie jusqu'à la fin du monde ; il ne faut pas dormir pendant ce temps-là.
というパスカル『パンセ』の一節(イエスは世界の終わりまで苦痛の中にある。その間は眠ってはなはならない。)ぐらいしかない。それもどちらもフランス語の原書から覚えたわけではなく、前者は堀田善衛の自伝的長篇『若き日の詩人たちの肖像』、後者は福永武彦の若き日の習作長篇『独身者』に、それぞれ引用されていたのを覚えただけである。
そもそも僕は丸暗記が苦手なのだ。受験勉強でも歴史の年号や英単語を機械的に丸暗記するより、歴史ならある事項と別な事項のつながりや人物どうしの関係を覚え、英語ならむりやり語呂合わせを作ったり、語源にさかのぼって意味を覚えるようにしたりしていた。数学も三角比の何かの公式をサインを「咲いた」、コサインを「コスモス」と置き換えて「コスモスコスモス咲いた咲いた」「咲いたコスモスコスモス咲いた」と覚えたし、地学の古生代の地質年代は、どうせセンター試験でしか使わないんだから頭文字だけ覚えればいいといわれ「カオシデ石ニ」と覚えた。(その割に古生代の地質年代は正式名称も、それぞれカンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、二畳紀……とちゃんと覚えていたりする。地学はなぜか得意だったので、他にも「モホ面」と覚えればいいといわれたのにモホロビチッチ不連続面とか、「HR図」と覚えればいいといわれたのにヘルツシュプルング=ラッセル図とか、いちいち正式名称まで覚えていた。こういうどうでもいいことに限っていつまでも暗唱できたりするので始末が悪い。)
だからどんなに大事なことだろうと、僕は丸暗記には向いていないのだ。いくら感銘を受けた歌でも、よっぽど暗唱しやすい愛唱性の高いものでなければ暗唱することができないし、とっさのときに出てこない。好きな歌人として公言している人たちの作品でも、本当に愛唱性の高い、誰でも知っているような作品しか暗唱できない。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
馬を洗はば馬のたましひ沍ゆるまでひと戀はばひとあやむるこころ 塚本邦雄
硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ 浜田到
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら 村木道彦
氷片にふるるがごとくめざめたり患(や)むこと神にえらばれたるや 小中英之
雪に傘、あはれむやみあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ 小池光
すべてその歌人の代表作といっていい歌だし、国語の教科書や資料集に載っているような有名な歌も含まれている。歌を暗唱できず、記憶できないと、先行作品と同じような歌を詠んでもそれに気付かず発表してしまい盗作のようなことになったり、評論などを書くとき引用するのに不便だったりする。何より歌をたくさん覚えていることは、脳内にポエジーや詩的言語のストックがたくさんあるということで、そのストックが豊かであればあるほど、よい歌が詠めるはず。僕にはそうしたストックがないぶん、これまでは他のジャンルの読書で補ってきたところがあるのだが、鬱が悪化して本が読めなくなってしまったこともあり、いよいよストックが枯渇して、よい歌が詠めなくなってきている。どうしたらいいのだろう。
弓木奈於のこと
保守的な性格なので大所帯のアイドルグループに新しいメンバーが入ってきてもなかなか覚えられない。顔と名前とキャラがなかなか一致しない。だから欅坂46は全員把握できていた21人のときがいちばん好きだったし(楽曲では特に「世界には愛しかない」「二人セゾン」「渋谷からPARCOが消えた日」「バスルームトラベル」などが好き)、いまは全メンバーをなんとか把握できているので日向坂46に興味が移っている。
乃木坂46はだいぶ前に加入した3期生すら何人か覚えきれていないメンバーがいるのに、4期生、新4期生と続けざまに加入してきて追いかけきれない。しかも判官びいきで「不遇の2期生」を推してしまうところがある。一番好きな楽曲は堀未央奈センターの「バレッタ」だし。(ちなみに初めてハマったアイドルがアイドリング!!!なのだけれど、そちらでも特にバラエティ色の強い2期生が好きだった。)そんな中でもキャラクターが強烈過ぎて一発で覚えてしまったのが新4期生の弓木奈於だった。
弓木は「坂道研修生」を経て乃木坂46に新4期生として配属された。4期生最年長の22歳で、キャッチフレーズは母親考案の「はんなりすっとこどっこい」。もともと劇団所属で、芸能人の多く通う高校に通っていたのか、1期生の和田まあや、2期生の伊藤純奈(舞台を中心に活躍し、先日卒業を発表)とは高校時代からの友達だったという。
実家は京都でかなり裕福なよう。平屋なのに応接室なども含め10部屋以上あるとのこと。他にも家にはきょうだいそれぞれの自室とは別に4人まで使える勉強部屋のようなものがあったり、階段の下(平屋なのに階段?)に食料庫があったり、後述のバイト経験の話なども含め何かと謎が多い。家族は7人きょうだいと大所帯で、弟には俳優の弓木大和がいる。
並外れた天然発言の数々でファンにはおなじみ。昨夜のオールナイトニッポンでは尊敬する新内眞衣の前だからか抑え気味だったが、随所で弓木ワールドを発生させていた。かき氷で好きなシロップがブルーハワイだという話になり、「わかる気がする」という新内に「わたし青みがかってますもんね」と謎の受け答えをしたり、珍しい名字のためLINEのスタンプに「弓木」がなく、同期のメンバーから「西口っぽい」と言われたので「西口」のスタンプを買って使っていると語ったり、とにかくどこかズレている。さすが「はんなりすっとこどっこい」。
そして基本的に日本語がどこか変である。たとえば、「パチンコさんの海物語さん」のように何にでも「さん」を付ける(その割にひろゆきにはさん付けしなかった。どうやらひろゆきという名前の親戚がいてそちらと勘違いしたらしい)。あるいは単語を似たような響きでぜんぜん別の単語と間違えて覚えていたりすることが多かったりもする(たとえば「色とりどりの衣装」と言おうとして「四季折々の衣装」と言ってしまうなど)。話を何度も忍耐強く聞き直さないと全容がつかめないことがままあるため、何度も観返さないとわからないと評判になった映画『テネット』にちなみ、レギュラー出演しているエフエム富士のラジオ番組「沈黙の金曜日」ではアルコ&ピースから「テネット弓木」のあだ名を付けられた。いまだにわけのわからない発言をし始めると「テネットしてる」「テネット弓木はじまった」とファンがざわめく。
上述のようにとにかく独特の言語センス(本人曰く「日本語が苦手」)の持ち主で、国語の塾講師アルバイトの面接で長所を聞かれて「日本語が苦手」と言ってしまったことがある(あとで母親から「英語講師になるのに『英語が苦手』と言うようなもの」とダメ出しされたという)。しかしなぜか採用されてしまったのだが、流石に国語講師はつとまらなかったらしく2日で受付に回されたという鉄板のエピソードトークを持っている。深夜の音楽番組でこのトークをしたところMCの山里亮太に強い印象を残しならしく、「乃木坂46のオールナイトニッポン」の裏番組「水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論」で話題にされた。他にもコンビニでのバイト経験があると複数のラジオ(「オールナイトニッポン」「沈黙の金曜日」)で語っているが、業務のうちかなりの割合を免除されていた(任せられなかった?)らしく、どういう仕事をしていたのか聞かれてもPOP描きぐらいしか話が出てこない。リスナーの間では「弓木が勤めていたのはコンビニではない別の店だったのではないか?」という説がささやかれている。
独特の言語センスはSHOWROOMの配信番組「のぎおび」にソロで登場した回でも発揮され、開始からしばらく音声が流れないトラブルが起きた際、ホワイトボードに「どうしよう…色々な事件を巻き起こし弓木だ」という名フレーズを書いた。意味はなんとなく通じるのに日本語の文章としてはすっとこどっこいなところがとても良い。巻き起こし弓木だ。辞書編纂者の飯間浩明氏が乃木坂46きっての読書家で辞書好きの鈴木絢音と対談していた(①、②、③、④)が、鈴木のきれいに整った日本語(ブログの文章など言葉遣いがとても丁寧)よりもむしろ、飯間氏には弓木奈於のぶっ飛んだ日本語センスに触れてほしいような気がする。
上述のように弓木は乃木坂46の永島聖羅、中田花奈(どちらも卒業)に続いて「沈黙の金曜日」レギュラーになったわけだが、メインパーソナリティのアルコ&ピースからイジられながらも、その「テネット」ぶりで逆にアルピーの二人を振り回すこともしばしば。乃木坂46の先輩で今やラジオスターの階段を駆け上がりつつある"れなち"こと山崎怜奈(乃木坂46の2期生。TOKYOFM平日午後の帯番組「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」など出演。慶応卒でとりわけ歴史に造詣が深い。「Qさま」などクイズ番組でも常連)をイジり倒した回などはすごかった。正確にはアルピー側から山崎をイジるような発言を引き出すべく罠を仕掛けられているのだが、独特の日本語センスも相まって喋れば喋るほどドツボにはまっていく。最終的に山崎怜奈からはブログで他の4期生はちゃん付けで呼ばれているのに一人だけ「弓木」と呼び捨てにされた。もっとも山崎怜奈は山崎怜奈で、過去に同番組で先輩の斎藤ちはる(卒業後、テレビ朝日アナウンサー)のブログの書き出し「ちはるーむにようこそ!」が「一度入ったら二度と帰れない」「高級マンションのような感じを出して実は安アパート」など番組でネタにされていた際、改名案として「コーポちはる」というイジりネタを投稿して話題になったことがある。(このときは後日ふたりをゲストに呼んで「ちはるーむ裁判」が開かれた。)
弓木に話を戻すと、話の流れでアルピーからきわどい質問をされた際にうまくかわして「ごまかさなきゃいけないところはちゃんとわかるんだな」と言われると、「舐めないでくださいよ、あったまいいんですからー」と答えたことがある。かわいい。僕も「あったまいいんですからー」と言って生きていきたい。
そんな弓木だがなんだかんだ歌もうたえるし(「乃木坂スター誕生」)、演技もできる(「取り立て屋ハニーズ」)ことが各番組で判明しつつあるうえ、既にひかりTVで冠番組(「乃木坂46弓木奈於のやみつきちゃん」。よほど山崎怜奈と縁があるのか山崎の後番組)スタートも決定している。天然なだけでなくトークの切り返しも意外とうまく、4期生メンバーが往年の名曲をカバーする深夜番組「乃木坂スター誕生」でダイヤモンド☆ユカイと「男と女のラブゲーム」をデュエットしたあと、「良い女だったね」と言われて「普段は悪い女なんです」と返したところなど最高だった。天然要素と返しのうまさとの配合具合は、ちょっと一時期の井口眞緒(日向坂46卒業生)を彷彿とさせるところもある。容姿は全然似ていないのだが。
そんな弓木を推していてひとつだけ困ったことというか、悲しかったことがある。僕はツイッターアプリを公式含め何個か使い分けているのだが、リアルタイム検索をするときはEchofonを使っている。しかしリアルタイムでアイドルなど女性芸能人の名前を検索すると、大量のエロ釣りスパム(いわゆる「裏垢女子」を装ったもの)が引っかかってたいへん邪魔だったりする。しかし弓木は加入してまだ日が浅いこともあって検索をかけてもそういうスパムが一切ひっかからず、実に快適だった。ところが本当にここ数日ぐらいで、「弓木奈於」で検索をかけると他と同じように多数の裏垢スパムが出てくるようになった。それだけ世間に認知されたということなのだろうが、情報収集がしづらくなって困るし悲しい。
なぜか「ちいかわ」が怖いこと
ちいかわ、少し読んだ限りではおもしろそうなんだけれど、一方でほかのああいうキャラには感じない、何か存在の根源に触れるような怖さを感じてしまってなかなか見られない。何なんだこの恐怖の源泉は。
ついでにいえばキャラクターが怖いのか、ストーリーや世界観が怖いのか、どちらも怖いのか、それさえよくわからないまま怖い。あるいはこれらの要素が複合することで怖く感じるのかも知れない。
ほかに怖がってる人も見かけないし、何か僕のなかの自分でも意識してないトラウマを刺激するものがあるのだろうか。謎である。
刃唯阿というキャラが好きなこと
僕は子供の頃から昭和の作品を中心に特撮が大好きなのだが、仮面ライダーは昭和のなかでも初代(と石ノ森章太郎による原作)が好きなだけで、他のシリーズには無知だった。イケメン俳優の登竜門となり多くの熱狂的なファンを生んだ平成ライダーシリーズはひとつも見たことがなかったが、令和初ということもあり『仮面ライダーゼロワン』は何となく気になって視聴していた。ニチアサの連続ものを見られていたのは、当時は助手として働いていて生活にも精神的にも余裕があったのが大きかったかも知れない。
全話欠かさず見たり考察したりするような熱心なファンではなかったのでざっくりした解説になってしまい申し訳ないが、いちおう說明しておくと『ゼロワン』は人間そっくりのAIロボット「ヒューマギア」と人が共存する世界が舞台。しかしヒューマギアを危険視し、敵とみなす勢力や、逆にヒューマギアの解放をめざす勢力がいたりする。主人公は売れない芸人だったのが祖父の跡をついで急にヒューマギア製造販売会社・飛電インテリジェンスの社長になってしまった飛電或人(ひでん・あると)。或人は社長になってからもダジャレを基本とする誰にもウケないギャグをやり続けている。芸人の鑑。
それで僕が好きな刃唯阿(やいば・ゆあ)は仮面ライダーシリーズ初の初回から登場する女性ライダー(仮面ライダーバルキリー)。変身するとき、変身アイテムのプログライズキーを手でくるくる回すのがかっこいい。序盤では、治安維持組織A.I.M.S.の技術顧問ポジションだったが、その後、敵となるZAIAからの出向社員だったことが判明。しばらく敵役になって怪人に変身したりもするが、のちZAIA会長・天津垓(あまつ・がい)に「これが私の辞表だ!」と全力のパンチを喰らわせて退社。そのあともまだいろいろあるのだが、きりがないので以下略。とにかく複雑な立ち位置のキャラクター、だと思う。(平成以降のライダーシリーズを見慣れていない僕がついていけていないだけかも知れないが。)『ゼロワン』作中にはヒロイン的なポジションとして或人社長の秘書ヒューマギア・イズというキャラクターがおり、緑を基調にした衣装にボブカットの美少女だったため「かわいいロボ娘なんてちびっ子たちの性癖を歪める」といわれるほど魅力的だったのだが、僕はやはり刃唯阿のほうが好きだった。
好きといっても演じた井桁弘恵という俳優が好きというよりは、刃唯阿というキャラクター(役柄)に対して「ガチ恋」的な感情をいだいているのだと思う。唯阿は二人称が「おまえ」だったり、つっけんどんにも感じられる「〜だ」、「〜か?」のような口調で話すのだが、僕はこの手の口調の女性キャラクターにハマりやすいのだ。(むかし2chでSSが多数投下されるなどして流行ったりした「素直クール」なんかもその部類に入る。)
唯阿はA.I.M.S.時代の同僚でバディといってもいい不破諫(ふわ・いさむ。仮面ライダーバルカン)に対してツンデレ気味なのだが、そういうところも好きだ。ちなみに不破は、熱血で真っ直ぐなところがあり、おちゃらけてどこか頼りない実際の主人公・或人より主人公っぽいなどと言われたりもした。他にも不破は持ち前のパワーで、ロックのかかったプログライズキー(変身アイテム)をこじ開けるなど「ゴリラ」キャラでもファンの人気を集めた。[※どうでもいい補足情報を付け加えると、不破を演じる俳優・岡田龍太郎は唯阿を演じる井桁弘恵と同じ早稲田大学の出身だったりする。ただし岡田が法学部(早稲田キャンパス)、井桁が人間科学部(所沢キャンパス)なので通っていたキャンパスは違うのだが。]
刃唯阿というキャラクターの魅力を挙げるとしたら何だろうか。敵だったブラック企業ZAIAに寝返った際の、意に反して社長の言いなりになるしかない「社畜」ぶり(お仕事勝負など)や、その積み重ねで鬱憤が溜まったところでカタルシスたっぷりにくりだされた「辞表パンチ」なんかがまず挙げられるだろうか。辞表パンチはスカッとしたし、かっこよかった。ブラック企業ZAIAをようやく退職したあとの私服がおしゃれ(肩の部分があいたニットなど)だったのも見逃せない。ファッショナブル唯阿。でもそれ以前から常用していたパンツスーツ姿が凛としていて何より素敵だった。いや本当に。クールな印象のキャラクターだが、番組初期のA.I.M.S.時代にはヒューマギアの握った寿司を食べて、満面の笑みで「う〜ん、おいしい!」と言うなど人間味もある。かわいい。あと隠密行動をとっていたことがバレると平成を装ってシラを切りながらも、思いっきり動揺が隠せていなかったりもする。好き。
今度『ゼロワン』の新しい映画が公開されるらしいが、そこでは不破&唯阿が主役で、刃唯阿の学生時代もえがかれるようだ。先行公開されたビジュアルでは、TV版『ゼロワン』での凛とした印象とは全然違う、眼鏡をかけた地味な服装で気弱そうにしている若き日の刃唯阿が登場していた。彼女の新しい側面が見られることを期待したい。
飲んでいる薬の名前のこと
スマホからEvernoteに日記をつけている。ここ1年ぐらいで食べたものや飲んだ薬とその時間などを詳細に記録するようになった。
安定剤は大学の保健センター時代から一貫してメイラックスを処方されている。長時間作用型で効果もそれなり強いので、不安症状の多い僕には合っているものと思われ、今の病院に移ってからもこれだけは変えないでほしいと頼んでいる。ほかに安定剤は頓服として、かの有名なデパスも処方されていたことがある。(そういえば「メンヘラ」をテーマにした絵恋ちゃんの楽曲「アルルの女」では観客による"デパスコール"がある。)
薬語りみたいになるが、本当にいろいろな薬を飲んできた。統合失調症の薬でもあるエビリファイも比較的長く服用していた。そのほか新しい世代の抗うつ薬であるSSRIは一通り試した。一時期はけっこう長くジェイゾロフトを飲んでいたが、のちレクサプロに変更となる。そのころ鬱がひどくて保健センターに行けず、結果として次の通院まで数週間にわたって心ならずも断薬してしまうことがたびたびあった。そうすると「離脱症状」が出る。そのなかでも特にキツかったのがジェイゾロフトの吐き気とレクサプロの「シャンビリ」。ジェイゾロフトを断薬してしまったときは、折悪しく短歌関係の仲間たちが開いてくれた角川短歌賞の受賞祝いパーティーと重なってしまい、パーティーのあと急に気持ち悪くなって、高田馬場駅西武新宿線の改札をくぐったところにあるトイレでしこたま吐いたりした。なおレクサプロの離脱症状「シャンビリ」とは、頭が「シャンシャンビリビリ」して何ともいいがたい不快な感覚のこと。SSRIを服薬している人たちの間でよく使われる表現。他にも今の病院に移ってからは、話をろくに聞かず薬をあれこれ試すばかりの老医師から処方されるがままに、三環系抗うつ薬(アモキサン、トフラニールなど)や発達障害の薬(ストラテラ)も飲んだことがある。今はてんかんと双極性障害の薬(ラミクタール)を飲んでいる。このなかではアモキサンが比較的効いた気がするが、副作用の便秘に悩まされがちなのがつらい。ほかに睡眠薬は今の病院に変わってから処方が始まり、寝付きを良くするマイスリーと長時間ぐっすり眠れるようにするサイレースを飲んでいる。それでも睡眠リズムは狂いっぱなしなのだが……。(個人的には睡眠リズムの乱れにある程度の周期があることから「睡眠相後退症候群」を疑っている。)
今の病院に移る際にカルテをもとに書いてもらった診断書によると、学内の保健センターへの通院当初は死別や3.11の影響による適応障害とみられていたらしい。今の病院に変わってから、あまりに鬱状態が長びいており(2012年4月から通院を始めたので今年で10年近くなる)、また必ずしも抗うつ剤で症状が改善したとも言えないため、双極性障害II型(いわゆる躁鬱病のうち躁状態が軽くしか出ず、鬱病と区別しにくいもの)を疑われるようになった。当初は鬱病と双極性障害とを判別する光トポグラフィー検査を受けるよう大学病院への紹介状を書かれたのだが、パンデミックもあり大学病院に通うのは不安だろうというので結局、今の病院に通い続けることになる。その病院では途中から双極性障害II型である可能性を考慮して双極性障害の薬であるリーマスを処方されることになり、今も服薬が続いている。
それでようやく本題に入ると、Evernoteの日記にスマホから服薬記録をつけるたび、リーマスと入力すると変換候補として薬のリーマスよりも必ず上に「リーマス・ルーピン」が出てくる。ルーピンは『ハリー・ポッター』シリーズの登場人物の名前だったはずだ。途中までしか読んでいないので記憶が不確かだが、たしか「闇の魔術に対する防衛術」の先生で、正体は狼男だったような気がする。(いまは正式な設定まで調べている余裕がないので記憶だけで書いている。)
いま使っているスマホは変換候補がかなり充実していて、この記事を書くのにも飛電インテリジェンスとかA.I.M.S.とかザイアスペックとか『仮面ライダーゼロワン』の用語が変換候補に出てきた。さらに昭和ゴジラ映画のタイトルはほとんど網羅してあるらしく、『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』など長いものも変換候補に出てくる。ただしタイトルにナカグロ(「・」という記号のこと)が入っているせいか『ゴジラ・モスラ・エビラ 南海の大決闘』と『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』だけは一発で出てこない。
脱線ばかりで失礼。また話をリーマスに戻すと、スマホからEvernoteの日記に服薬記録をつけるたびリーマス・ルーピンが必ず変換候補でリーマスより上に出てきてうっとうしく、このままではルーピン先生のことまで嫌いになってしまいそうな気がする。まあJ.K.ローリングのトランスフォビア発言のためにそもそも『ハリー・ポッター』シリーズ自体を忌避するようになっているのだけれど。
大学などの英語教員の需要のこと
もう何年も未練がましくアカデミアでの就職を夢見て、教員求人サイトJREC-INポータルに登録している。登録すると毎日あたらしい求人情報がメールでくるのだが、人文系で登録していると求人のほとんどが英語教員なのに驚かされる。グローバル化が実質的には世界の「アメリカ化」であることや、英語が大手をふって学問世界の共通語になりつつあること(いわゆる「英語帝国主義」)に、仏文出身者としては複雑な感情をおぼえる。助手時代に従事していた「スーパーグローバル大学」関係の仕事も、講演会やシンポジウムの広報と運営補助がメインだったが、アメリカの大学と提携していたこともあり、登壇者のほとんどがアメリカを中心とする英語圏の研究者で、たまに英語圏出身ではない研究者が来ても英語ないし日本語で喋ることが多かった。
大学や専門学校などの求人で英語教員の需要が圧倒的に多いなかでも、英文学というよりは実務的な「英語教員」が求められている。ある意味で高校教育の「英語」の延長のような感じ。求められる専攻は英文学よりも英語学、言語学、第二言語習得法、英語教育学などがほとんど。あるいはもっと露骨にTOEIC担当などと書かれている場合も少なくない。
むかし大学のキャンパスで見かけた学内英文学会の立て看板で、発表プログラムの半分以上を英語学や第二言語習得法が占めていて、それに対し英文学の発表件数は少なかったことに、思わず不快感をもってしまったのを思い出す。当時は、英文科は中学・高校のときから英語が得意だったようないけ好かない人たち(という僕の偏見)が「なんとなく受験科目としての英語が得意だし、好き」という理由から行くところで、語学が好きなだけで文学を勉強する気がないまま入ってくる連中が多いせいだとばかり思いこんでいた。浅はかな話である。今となって考えてみると、確かに文学部に来ているなかには「文学というより語学が好き」タイプも少なくないだろうが、それよりも「大学院修了後に就職先を探すとき需要が多い」という理由から、文学より語学寄りの分野を専攻する人が増えているのだろう。あるいは本当は英文学が好きで作品をたくさん読んでいても、就職のためにやむを得ず専攻を英語学や第二言語習得法にした人たちもいるのではないか。大学はもちろん、中学や高校の英語教員になるのだって、英文学研究者よりは第二言語習得や英語学を専攻した学生・院生のほうが採られやすいだろう。
話がまとまらないが、なんにせよ特に学問の世界においては安易なグローバル化が悪い、ということでこの項目は終わりにする。すとっぷ・ざ・ぐろーはばりぜーしょん!(えいごできない!)
青空文庫の翻訳もののこと
英語といえば青空文庫に収録されている翻訳作品には英語からの翻訳や、ときには英語以外の言語で書かれた作品でも原語からではなく英訳からの重訳というものが少なくない。
青空文庫に収録されている翻訳作品には2種類がある。ひとつは翻訳者の著作権が切れているので収録された古い翻訳もの(原田義人のカフカ、山川丙三郎のダンテなど)。もうひとつは原著の著作権の切れた作品をボランティア翻訳者が青空文庫に協力して無償で翻訳・提供しているもの。英語からの重訳が多いのは後者である。
もっとも、日本近代文学における翻訳作品の歴史をたどれば、古くは英訳からの重訳による訳書が多くある。ほかの外国語よりも、まず英語教育が重視されていた影響なのだろう。恐らく原書の外国語から訳せる翻訳者が少なかったため、他にあてがないのでとりあえず英語の翻訳者に頼むしかない、ということが多かったのでは無いか。そういうわけで、いわば「仕方なく」英訳からの重訳になる場合が多かったのだと思われる。あるいは原書を参照したとしても、英訳の不明点を補う程度だったり。
しかしそういう明治から大正、昭和初期ぐらいまでの風潮を責める気はない。重訳とはいえ翻訳があったお陰で、日本において外国文学や外国思想の理解が著しい発展を遂げたことは間違いないのだから。だいいち文豪と呼ばれる人たちの翻訳だって、二葉亭四迷にはロシア語訳から、森鷗外にはドイツ語訳からの重訳が多い。翻訳文化の黎明期はえてしてそういうものだったのだろう。
時代が進むにつれてさまざまな言語を習得する人が増え、原語からの翻訳が中心となり重訳は減っていった。しかし上に指摘した青空文庫をはじめ、いまweb上の翻訳という世界でふたたび英語からの重訳が増えている。そういえば著作権の切れた日本語以外の著作をボランティアが翻訳して無料で提供する、"翻訳版青空文庫"とでもいうべき「プロジェクト杉田玄白」という試みがあったが、そこでも英訳からの重訳が多かった。こうしたweb上における重訳の増加にはにはもちろん「英語帝国主義」「世界のアメリカ化」のような悪しきグローバル化の影響もないではないのだろうが、それよりも僕個人としてはwebを舞台に新しい翻訳文化の時代が訪れようとしており、今はその黎明なのだと思っている。
ふたたび汗かきのこと
6月、ついに暑い季節に入ってしまった。梅雨冷えの日もあるだろうし、湿気こそあれ暑さはまだまだ序の口のはずだが、僕はといえば既に汗に悩まされている。
エアコンを除湿でつけて涼しくなっているはずの部屋の中でも、ゆうべ紙ゴミの片付けをしたらそれだけで結構な量の汗をかいた。今日も夕方に郵便局と買い物に出かけたのだが、近所をちょっと出歩いただけなのに、帰宅するとボタボタこぼれるくらい大汗をかいて、着ていたTシャツはビショビショに濡れてしまった。
しかし疑問なのが、部屋の中より暑いはずの外で、しかも歩きまわっていたのに、外にいたときは一滴も汗をかかず、部屋に帰ってきてからひどく汗をかいたこと。涼しくて動かなくていいはずの場所に着いた途端、一気に汗が吹き出してきてしばらく止まらない。そういえば去年の夏も面接を受けてまわっていたとき、同じようなことがあった。面接先にツクマデ外を歩いていればもちろん汗をかくのだが、それよりも面接先に着いて冷房の効いた室内に入ってからのほうが汗をかく量が多かった気がする。そのせいで別に室内が暑いとは思っていないのに、先方が気を利かせて「すいません、暑いですよね」と冷房の設定温度を下げてくれたりする。そうすると面接中に冷房で汗が乾いて、気化熱というやつなのか一気に体温を奪われ、むしろ寒い思いをすることさえあった。
僕が汗かきなのはもちろん太ってしまったせいもあるだろう。なにせ10年そこそこで40kg前後太ってしまったのだ。それに一番痩せていた20歳前後はそれなりに汗こそかくものの、夏場にタオルを2本も3本も持ち歩くほどではなかった。しかし外よりも室内に入ってからのほうが汗をかくのは、単に太ったせいだけではなく、自律神経に問題があるのではないかと思う。これはもう多汗症で病院にかかるしかなさそうなのだが、多汗症を扱っている良い病院ってどこにあるのだろうか。もしこれを読んでいるなかに御存知の方がおられたら御一報ください。都内在住です。
「ハンJ読書部」に入り浸っていた頃のこと
数年前「ハンJ」というムーブメントがあって、僕もそこに少しだけ参加していた。
このムーブメントは『余命三年時事日記』懲戒請求騒動というものが発端になっている。一部のなんJ民は某弁護士といろいろあったわけだが、そんな彼らですら手を出さなかった「懲戒請求」に、『余命三年時事日記』なるネトウヨ系ブログ(書籍版、漫画版もあり、後述の青林堂から出版されている)に影響された人たちが手を出してしまった。この事件を「弁護士」にかかわる案件として面白がったなんJ民が乗り出し、差別的なネトウヨの温床で『余命』に関するスレッドもあったハングル板を、なんJ板の植民地「ハンJ板」として乗っ取るということが起きた。(現在は「祭り」とともになんJ民も去ってしまったため、ハングル板はまた元のようなネトウヨの巣窟に戻ってしまったらしい。)
このとき『余命』ブログが懲戒請求の対象として名指ししたのは、学費無償化から朝鮮学校を除外するのに反対した弁護士たちをはじめ、右派系出版社・青林堂(もともとは『ガロ』など独自の漫画を出す出版社だったが、紆余曲折をへてネトウヨ系の出版物を出すようになった)の労働問題にかかわった弁護士や、名前から在日コリアンと思われる弁護士などだった。そういった弁護士たちに対してブログ読者たちは『余命』に煽動されるまま次々に懲戒請求をおこない、弁護士業務を妨害した。僕は法律のことをよく知らないのだが、弁護士をやめさせる懲戒請求というのはよほどの理由がない限りちょっとやそっとじゃ通らないもので、逆に弁護士側から訴えられれば多額の賠償金を支払うことになりかねないらしい。実際、『余命』ブログに影響されて懲戒請求をおこなった中から、裁判で敗訴して賠償を求められる人たちが出ているようだ。なお懲戒請求をおこなったネトウヨのうち個人情報が特定された中には、社会的地位の高い医師や経営者などもいた。
この「懲戒請求騒動」以外にも話題を呼んだのが、YouTubeにアップロードされた差別的な動画を次々に通報することでネトウヨ系チャンネルを潰していくという動きだった。『週刊新潮』や『SPA!』なだで連載をもっている(いた?)KAZUYAというインフルエンサー・YouTuberも一度アカウントをBANされている(のち復活)。この運動は、3度通報が通ればチャンネルがBANされることから野球になぞらえて「3アウト」と呼ばれるなどゲーム感覚でちょっとしたブームになり、「ネトウヨ春のBAN祭り」と名付けられてそこそこ大きなムーブメントを起こした。YouTube側がヘイト動画に対して厳しい対応をとっていたことも、こうした動きの後ろ盾となった。(対照的にツイッターは日本法人が差別的な書き込みの取り締まりに対して積極的でないため、ヘイトスピーチを含むツイートの通報運動はいまひとつ盛り上がらず、YouTubeほどの「祭り」にはならなかった。)この件に関してはネトウヨ側も抗議の英文メールを送るなどしたが、その英語が拙く「普通の日本人」(ネトウヨがよく使うフレーズ)を自称するのにJapanese general adult man(日本のアダルトマン将軍)と書いてしまうなどしたため、笑い者にされてしまった。
そんな「ハンJ」にはアカデミック系から野球やエロまで、次々とそれまでのハングル板とは関係ないさまざまなスレッドが立てられ、従来のネトウヨ系スレッドを勢いで圧倒した(このあたりも反差別的、反ネトウヨ的な思想の持ち主だけでなく、ノンポリ層を大きく取り込んだ「祭り」になった一因かと思われる)。一度「ハングル板の設立趣旨とは関係ない内容のスレッドが乱立している」とその多くが削除されたものの、なぜかエロ系のスレだけは残された。そのあたりからも、匿名掲示板に集ってヘイトスピーチを繰り返すネトウヨたちの素性や欲望の在り処がなんとなくわかったのであった。
かくしてスレッドが乱立した中でも特に大きな盛り上がりを見せたのが上述のYouTubeヘイト動画通報スレだった。このスレではネトウヨが主戦場とする近現代史になぞらえて、むやみに戦線を拡大しようとするのを諌める「心の関東軍を抑えろ」というフレーズが流行った。また自分たちの板を荒らされたと怒るハングル板原住民(≒ネトウヨ)を、右派の人びとが戦前の「韓国併合」について日頃から唱えている説をもじって「侵略(植民地化)ではなく併合して近代化してあげただけ」と揶揄するのもウケがよかった。とにかく徹底的にネトウヨや彼らが好むヘイト的言説を「ダサいもの」として「バカにした」のが、祭りを大きく盛り上げたことは間違いないと思う。そのほか突然の闖入に反発したハングル板原住民が、急速に流入してきたなんJ民を中国の工作員だと思いこんで「六四天安門」を連呼したり、トイレに貼る御札の画像を貼り付けることで糞便のように汚らわしい侵入者たちの退散を願う「お札貼り」をしたりする滑稽な様も笑いのネタとなった。さらに原住民(≒ネトウヨ)たちが集うなかに、人種差別的な替え歌を書き込んで馴れ合うスレッドがあったのだが、そこで替え歌の題材にされている元歌がことごとく昔の歌謡曲で、ネトウヨの推定年齢層の高さに「いい歳して何やってんだ」とドン引きするユーザーが続出した。
ともあれようやく本題に入ると、なんJ民がハングル板に乱立したさまざまなスレッドの中に「ハンJ読書部」というスレがあり、僕が主に見ていたのはここだった。このスレでは反差別はもとより、朝鮮・韓国に関するアカデミックな研究書や歴史学、さらにはハングル板という主旨とはまったく関係のない分野までさまざまな本に関する会話が交わされていた。ここで僕は自分の好きな分野の本について語るとともに、専門や関心領域以外のさまざまな本について知識を得るという恩恵を受けた。
まず恩恵を授けてくれたのが「東洋思想に自信ニキ」たち。当時、タレント弁護士のケント・ギルバートが書いた「中国や韓国は儒教の影響が強いから儒教の影響の薄れた日本より劣っている」という主張のヘイト本が売れており、一部出版社がこれに便乗する動きもあったため、研究者をはじめ良心的な出版社・書店・読書感想文などが反発したことがあった。そうしたカウンター運動を反映して、儒教に詳しいスレ住民が専門的な多くの文献を挙げてヘイト本の誤りや偏向を指摘し、またそれだけに留まらず学問的議論も交わされていた(欧米での儒教研究の動向や日韓における儒教の歴史など)。そのなかで儒教のことにはまったくの門外漢だった僕に、いろいろと教えてくれたのが「東洋思想に自信ニキ」たちだった。彼らには土田健次郎『儒教入門』をはじめたくさんの儒教関連書を教えてもらった(僕は仏文科なので土田先生のおられた東洋哲学コースとはあまり縁がなかったのだが、助手の仕事で初めて御本人を見かけたことがあって、そのときはちょっと嬉しかった)。このときリストアップしてもらった書籍を挙げると以下の通り。(残念ながら博士論文と助手業務にかかりきりだったこともあってほとんど読めなかったが……。)
土田健次郎『江戸の朱子学』
三浦國雄『「朱子語類」抄』
三浦國雄『朱子伝』
島田虔次『朱子学と陽明学』
小島毅『朱子学と陽明学』
小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』
丸山眞男『日本政治思想史研究』
渡辺浩『東アジアの王権と思想』
桑原隲蔵『中国の孝道』
津田左右吉『儒教の実践道徳』『津田左右吉全集18』
小島祐馬『古代中国研究』
吉川幸次郎『吉川幸次郎全集2』
戸川芳郎・蜂屋邦夫・溝口雄三『儒教史』
加地信行『儒教とは何か』
渡辺浩『近世日本社会と宋学 増補新装版』
古田博司『東アジアの思想風景』
土田健次郎『二十一世紀に儒教を問う』
ここでは煩雑になるのを避けて省略したが、「東洋思想に自信ニキ」はそれぞれの本について寸評というか、短めのコメントまで添えてくれた。個人的には丸山眞男はもとより、桑原隲蔵(仏文学者・桑原武夫の父)、津田左右吉、小島祐馬、吉川幸次郎といった自分でも知っている名前も挙がっていたのが嬉しかった。小島祐馬や吉川幸次郎の人柄と学問的業績は、落合太郎の記事で少し取り上げた竹之内静雄の『先師先人』『先知先哲』で読んだことがあったので、勝手ながら馴染み深い名前だったのだ。何にせよ5chでこんなアカデミックで有益な情報をもらえるとは思ってもみなかった。
他にも読書部スレから派生してより専門的な内容に特化した「ハンJマルクス経済学部」というスレもあり、ここでは「マルクス経済学に自信ニキ」たちから多大な恩恵を受けた。当時は白井聡『武器としての資本論』も斎藤幸平『人新世の「資本論」』もまだ出ていなかったが、ここでマルクス経済学についてあれこれ本を挙げて教えてもらったお陰で、だいぶマルクスに対する偏見を修正されたと思う。このスレではハーヴェイ『〈資本論〉入門』が高く評価されていたのをよく覚えている(高かったので図書館で借りて読んだ)。他にも日高普『経済学』や内田義彦『資本論の世界』といった、たまたま古本屋で買って持っていたマルクス経済学関係の本について評価をたずねてみたり、難解をもって知られる宇野経済学(佐藤優の著作を介して興味を持っていた)についてその一端をいろいろ教えてもらったりもした。ハーヴェイの本はいつかお金が稼げるようになったら買って読みたいと思っている。その前に手許にあるのに読みきれないまま積ん読になってしまっている日高『経済学』と内田『資本論の世界』(後者はハーヴェイの本でも訳者解説で推薦文献として挙げられていた)を読まねばならないが……。
もっとも、この「祭り」で僕が得た知識は本のことばかりではない。「ハンJ音楽部」スレに「アルヴォ・ペルトすこ」と書き込んだら、すぐに「モンポウとシルヴェストロフもすこれ」とレスがついて、フェデリコ・モンポウとヴァレンティン・シルヴェストロフという2人の現代音楽家を知ることになった。これらの人たちの曲は今でもSpotifyで、眠れない夜などによく聴いている。[※ちなみに音楽にうとい僕がアルヴォ・ペルトを好きになったのは、アルフレート・シュニトケを聴いていたら関連動画としてペルトの「タブラ・ラサ」という曲が出てきたのがきっかけ。「タブラ・ラサ」にはシュニトケがプリペアード・ピアノで演奏に参加している。さらにいえばそのシュニトケを知ったのは、自殺までの100日間をカウントダウンする「自殺日記」で話題になった往年のwebサイト『終わる世界』でシュニトケの「レクイエム」が紹介されていたからだった。]
こうしてさまざまな知識を与えてくれた「ハンJ」を僕が離脱したのは、実にマヌケな話で、ツイッターへの不用意な書き込みをきっかけに身バレして、1人のユーザーに粘着されたことが理由だった。短歌界隈は謹呈文化や高齢化のゆえにいまだに郵便を使うことが多く、個人情報保護の意識が薄い傾向がある。そのためこれ以上の情報が漏れたら何をされるかわからないと思って離れることにしたのだ。当時はまだ大学の助手だったから職場に電凸とかされたら大変だし。身バレした原因としては不用意なツイートの他にも、僕が書き込みをするときにいわゆる「なんJ語」「猛虎弁」ではなく、「とうすこ民」が使う「とうすこ語」を充分に習得しきれないまま多用していたため悪目立ちして、普通のスレッド住民からも「仏文ニキ」と呼ばれるなど「半コテ」化していたことも挙げられる。
ともあれ、ノンポリのネット住民を巻き込み、おもしろがって「祭り」として拡大していった反差別・反ヘイトの運動が「祭り」が去るのとともに衰退してしまったのは寂しい限りだ。とはいえ、回顧ばかりしていても仕方ない。ムーブメントが衰えてしまった今も、ヘイトツイートやヘイト動画を見かけたら通報するとか、儒教マルクス経済学を偏見抜きで見られるようになったとか、そういう小さな財産を「ハンJ」ムーブメントからもらったことは確かなのだから、それらを大事にして生きていくしかないだろう。