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ファイナルファンタジー4が大好きにゃんだ!とFF愛を叫ぶ。


ファイナルファンタジー4(以下、FF4)オマージュの猫絵をかきあげてSNSに投稿したのは先日のこと。


翌日タイムラインを見てみると、ファンたちからの祝福の投稿が次々と出てくるではないか…!

2021/7/19で30周年なのだそうだ!おめでとうございます!
(愛するとかいいながら全く知らなかったじゃん…)

というわけで、溢れ出る偏愛(テキスト)をてろてろと吐き出そうと思います!


ネタバレを含むので、やってみたい人は見ないほうが良いかもしれません。
(プレイしおわってまだぼくのことを覚えていたら、読んでみてほしい。)


1.始まりのファイナルファンタジー

はちねこ@宅建士2 3

ぼくにとっての、究極幻想のはじまりのゲーム。

初めて一人ではじめから終わりまでクリアしたスーファミのゲームだったのでとても印象深いゲームだ。

(ファイナルファンタジー1~3はやったことはあったのだけど、当時幼稚園くらいだったし、セーブデータが30分で切れるという兄たちに使い古されたソフトだったため当時でクリアができなかったのだった・・・。)

30年前(・・・・!?)の7/19に発売されたというのだから、30年の重みに思わず絶句してしまった。

その時の感動を今のこととして思い出せるのにそんなに長い月日が経ってしまったことを自覚し遠い目をするぼく…。
そこから回想が始まった。

2.リアルの思い出とオープニング

推し

ちいさいころのぼくの家は田んぼ地帯のど真ん中にあった。

その時の、稲の青葉が風に揺られてささやいていた音をよく覚えている。

夏の暑い日、すん…とした田んぼの泥のにおいと、なにか冒険がはじまりそうなとても新鮮な風のにおいのする時期だった。

ファミコン→スーパーファミコンになったことでメモリやグラフィック技術が格段に上がったことにまず感動した。

ドット絵がさらに鮮明になり、ドラマティックなFF4のオープニングは何度も何度も、繰り返し見た。

突然、事件がふりかかり旅立つことになる主人公。
愛しい恋人との別れ、そして旅立ち。

ながれるプロローグとメインテーマでもうエンディングですか?ってくらい感動をするぼく。

今にしてみれば、ありきたりで当たり前のような入りだしかもしれないけど、小学生のぼくには新しい世界の扉が開かれる瞬間だったから何度も飽きずにみることができて楽しかった。

それだけで一つのドラマだったし、おさななじみと一緒に大声で吹き替えをやった(笑)

ときには、一人で全員の役をやる徹底ぶりである。

(今思えば、ぼくは小学校から『中二病』を患っていたことになる、笑)

ぼくは ミシディアで・・・・
つみもない ひとびとから クリスタルを!

ぼくは へいかには さからえない
おくびょうな あんこくきしさ・・・・

あかいつばさの セシルは
そんな よわねは はかないはずよ!
わたしのすきな セシルは・・・・


れんあいの「れ」の字も知らない小学生がこの、ひらがなとカタカナのテキストをみてきゅんきゅんしていたのである。

大人がみたら、唐突すぎるストーリー(スーファミ容量の限界があるねん・・!w)や二人のリア充展開にツッコミを入れるところかもしれないが、純粋な幼少期にそんなところに引っかからずに物語を楽しめたことは幸せだと思っている。


いやいや、大人になってもツッコミ要素で楽しめるところはあるんですよ!?


「いいですとも!」はネタにされてるのでマニアックなところをあげておくと、

世界に名を轟かせたバロン王国なのに、意外に近くに平定してない町あるのね
弱音を『吐かない』とか言っちゃう麗しのローザ様
『おんなのこ』に『たたかう』できちゃだめでしょ…@@;
ギルバードのトリプルアクセル避けを見ると病弱にはとても見えない
アントリオンがおとなしいとか絶対ウソなカオしていて、王家管理の動物といえどちょっと愛せない…
『うっ ぐぺぺぺぺーーーーっ!』断末魔のクセがすごい
陸路も水路も空路もないのに、愛する人のために山に囲まれた砂漠の街に先回りし倒れるhimechanローザ様
自分に好意を寄せているカインを傍目にセシルと抱き合っちゃうローザ様
(そのときカインがそっと顔をふせたのをぼくは忘れない…;;)

なーんて、ツッコミプレイも大好きなんですけどね(笑)
序盤思いつくだけでコレくらいあるので、全体としてツッコミの数たるや想像がつくだろう。

ちょっと脱線してしまったけど、ドットなのに、キャラが振り返ったり、ゆっくり近づいたり、おどったり、時間が経過だったりと、感情の機微や物事の状況を表現するこまやかな演出は、この時代の最高峰だと思っている。

ここまでゲームに純粋に力を注いだ人たちの感性が、ぼくの今の感覚を構成していると言い切れる。

…とりあえずしつこくFF4オープニングごっこをやっていたので、親に「うるさい!」と怒られたのは良い思い出である。


3.ボーッとしてたら死ぬぞ

さぶふぉー

たしか、ファイナルファンタジー4からアクティブタイムバトルシステムが採用されたのだと思う。

アクティブタイムバトルシステムとは?
ターン制の戦闘システムとは異なり、常に時間が流れているリアルタイム制のシステム。スクウェア・エニックス(旧スクウェア)の『ファイナルファンタジーIV』が初出であり、それ以降のシリーズや他作品などでも採用されている。
採用作品により性質が異なる場合があるが、基本的には敵・味方共に一定の時間が溜まったキャラクターから行動を選ぶ仕組みである。ほとんどの作品で、次の行動選択可能までの時間を表したATBゲージ[1]が味方キャラクター1人1人に表示され、時間の流れを視覚的に捉えることができる。(Wikipediaより引用)

敵と自分の間に平等に時間が流れていて、当時流行ってたドラクエのコマンドバトルや、シュミレーション系のターン制とちがって、自分が何もしなくても敵がガスガス殴ってくるという、より臨場感の味わえるバトルシステム。

感覚的にこいつはコレくらいに行動が来るとか、
敵の攻撃を避ける時にこのタイミングで『ジャンプ』するとか、
キャラが死にそうだから『ふうましゅりけん』ここでなげちゃえとか、
メテオ詠唱してから発動はこのタイミングでくるとか、
全体回復はここで待ってからやるほうが良いとか、
「ひんし」状態の方がセシルがかばってくれるので回復はここではしないとか。

時間の流れとともに考え判断することをこのゲームで教わった。

ぼくのFF14のヒールワークはこのへんで鍛えられたのかもしれない。

敵のタイムラインを覚えて、ギミックをこなして、ぜんめつして…。

全滅をしても、行動を変えて何度もチャレンジしたり、
(ときには、レベル上げをしてリベンジしたり)
攻略をしていくのはとってもワクワクしたし楽しかった。

こんなに面白くて大好きなシステムなのだが、

そのいっぽう、「ゆっくり考えられないからキライ」という人がいるみたいでびっくりした@@;

そらそうですよね~…w


4.正義よりも正しいことよりも、大事なことがある。

はちねこ2書き出し用

ここから重要ネタバレ。

これは、セシルがあんこくきしから、パラディンになるときのイベント時のもの。


その時はだれかわからないんだけど、あんこくきしのセシルと同じ姿ででてきて、

『ここでお前が力を手に入れたら、私は大いなる悲しみに包まれる。』

的なことを言ってきて、疑問符が頭にとびかう中、戦闘開始。

えっ、えっ?主人公と同じ姿で敵が出てきて何言ってるかわからない@@;

(大人になってもその感覚はあながち間違ってない・・・w)

ここで、しびれるのが、このイベントは「何もしない」ことが勝利条件なのだ。

(勝利してはいけないイベントのことを、通称『負けイベント』という)

当時小学生のぼくは、ゲームは戦って勝つことでしか先に進めないとおもっていたので、

ゲームの進捗上、高額なハイポーションを99個お金をためて購入し、試練の山にのぼって3日間再戦を申し込んだ。
(冷静に考えて、ここにきていきなりハイポーションをガチで貯めて使わなければならないレベルデザインなはずがないけど、小学生なので…😽💦)

しかし、その戦いは3日めに意外な形で終戦を迎えた。
戦闘がはじまってからお母さんにご飯に呼ばれてしまい、(行かなければ怒られるので)そのまま放置して部屋を出て行った。

食べ終わってゲーム部屋に帰ってきたら、戦闘は終わっており、対峙していたあんこくきしのすがたはそこになかった。

なんでやねーんw

えっ、もしかして放置すれば勝てるの?

確かめたかったので、ぼくはリセットボタンを押して前のセーブポイントからやることにした。

そしたらその前のめんどくさい連戦のボス「スカルミリョーネ」ともう一度戦わないといけなくなった…。
(やつはしてんのうのなかでもさいじゃく…だがめんどくさい!)

ここも『のろい』というデバフをつけてきたり、バックアタックをかましてきて隊列を変えたりと苦労する場面だったのでまきもどしてしまったことを後悔した…;;

その苦々しい記憶も含めて、良い思い出である。

この しれんのやま さんちょう のたたかいは名場面なので、

このイベントの解釈は今でも色んな人がしているのだが、あえてぼくの解釈も書いておく。

まずその背景なのだが(ネタヴァレ!)

山頂のほこらに入ると、その中にはセシル自身と同じ姿のあんこくきしがいる。
正体は、セシルの実のお父さん『クルーヤ』と言う名前の、つきのたみ。
FF4の宿敵はゴルベーザといって、セシルの実のお兄さんである(このときはまだわからない)

ゴルベーザもセシルと兄弟なので、邪悪な力を封印していた『つきのたみ』の一族。

つきのたみの血のちからを利用され邪悪なるものに操られている状態(このお兄ちゃんがどうして闇堕ちしたのかは、FF4サイドストーリーで外伝として出ている)

クルーヤが自らの聖なる力をセシルに継承させると、ゴルベーザとセシルが対峙することになるの(息子が息子を殺すことになるかもしれない…)、セシルがパラディンのちからを得ることを悲しいと伝えていのだと思う。

正義よりも正しいことよりも、大事なことがある。
いつかわかるときがくる。


小学生にこの言葉の意味がわかろうはずがない。

ただ、わからないだけに、ぼくの胸に30年たった今ものこりつづけていて、
なにかのたびにぼくはこのコトについて考えることになった。

ぼくはこの言葉を『親の愛』として受け取った。

ストーリーに沿った解釈では、『正義』を振りかざして『悪』を討つことがすべてではないと伝えたかったのだと思うのだけど(『悪』となったゴルベーザにも事情があるし、それが物語をすすんだいつかにわかるときがくる、という意味で)

ストーリー上の解釈に加えて、ファイナルファンタジー4のゲームを超えたメタ的な意味で

”正しいことはただ『正しい』だけにすぎないから、
それよりも自分が大事とするもののために生きたらいい”

っていうメッセージが込められていると思うのだ。

悪いことをしてもいいとかそういう意味じゃなくって、善悪の判断は大事だけど、正しいものばかりを追っていると見失ってしまうものがある。
正しいことに囚われないで、他人を許し自分自身も許してあげて。

という、スクウェアやスタッフさんの親心がほっこりこもっているんじゃないかと密かに妄想している。


(時に、いらん親心を出してきてトラウマになる同社ゲームタイトルもありますけど・・・!)

ちからをセシルに譲ったクルーヤは消え、パラディンとなったセシルを「ゆけ」と送り出してくれる。

一緒にいられなかった理由や背景は語られないが、お父さんはきっとセシルを抱きしめたかっただろうに。


多くを語らず、ちからだけを譲り、子の意思と成長を見守る。

もう書いているだけで目から塩水が吹き出てどうにもならないくらいにくい演出なのだ。

力だけを譲り、使い方を子に委ねることってなかなかできない。
今の日本が見習うことがあるんじゃないかと感じる。

なかなか継承に踏み切れないお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん、この部分プレイして…!(ぇ


5.りゅうきしは、二度うらぎる

はちねこびっくり

ここはタイトルからしてネタバレなわけだけど、ぼくははじめカインはダメな子ほど可愛い枠なのかなと思っていた(笑)コレでもかっていうくらい裏切る。


仏の顔も三度までやぞ!とおもったプレイヤーも少なくないのではなかろうか(セシルさんも人の子だし)

そのツッコミはさておき、おとなになってから考えると
親友との絆の強さを何で表すのか問題にぶち当たった時、

仲良しな様子でも、喧嘩している様子だけでも足りないと思った。

信頼を損ねる行為などで木っ端微塵になった絆は修復するのか?

その部分だと思った。
つまり、裏切りが友との『絆』を浮き彫りにしている。
だからカインはストーリー上、度々親友を裏切らなければならなかった。


ここで、みんな大好きカインさんの名(迷)台詞

だいじょうぶだ・・・おれはしょうきにもどった!

と叫んだ刹那クリスタルを奪って去っていくのだが、ここでも疑問符のトルネドが吹き荒れる。

正気に戻って奪ってくってことは裏切った状況があなたの正気ということ?(・・?w

心理留保なの?錯誤なの?法律用語入門でいちどはみんなが体験する混乱状態に。

たしかに想い人が親友といちゃついているのを目の前で見せられている状況は世界を救う大義があったとしても、正気では耐え難いものがある。

自分のいたい場所が、自分に苦痛を与えるという事実は彼の精神を苛んだだろう。


(ハグとかキスは多少自粛してほしいわ…親友でも気遣いとかあるやん…?)

カインさんに感情移入するも、裏切りは裏切り。

ただ、セシルとローザのラブラブっぷりに闇落ちして裏切ったのだとはぼくは思っていない。
1%くらいはリア充爆発しろ!って思ってたかもしれないが。

ライバルであっても隣であゆみたいからこそ、上下関係になりたくない。
カインの苦悩とジレンマがじわりじわりと伝わってくる。


三角関係って恋愛の問題であるのと同時に、友情の問題でもあるのだ。
きっと、彼はセシルの隣で肩をならべて戦いたかったに違いない。

最終的に一緒に戦うってことは、セシルはカインを許してあげたんだよね?

(いくら自由恋愛といえど、カインがローザのことを懸想しているという事実をしりながらいちゃいちゃしているので、走れメロスみたいに殴り合いエンドってことなのだろうか)

三浦建太郎先生の『ベルセルク』にもこの答えの出ない複雑な友情がえがかれていて大変だいこうぶt

夏目漱石の『こころ』もそんなことを妄想しながら授業中読んでおりましたよ、ぐふふ。


にゃにゃにゃ!ぼくの性癖が露呈されただけなので、この話はまたこんどにしよう。(おれは しょうきに もどった!)

それにしても最後の結婚式にカインが来なくってよかったとカインの精神衛生を心配してしまうぼくなのだった。

このゲームが伝えたい絆とは『許す』ことなんじゃないかと思う。

父と子(クルーヤとゴル兄・セシル、エブラーナ王・王妃とエッジ)
兄と弟(ゴル兄・セシル)
母と子(ミストドラゴンのママとリディア)
親友(セシルとカイン)
恋人たち(セシルとローザ)
双子の兄弟(パロムとポロム)
王と家来(バロン王とセシル、ファブール王とヤン)

レイヤーわけされているが一貫して、絆と愛がえがかれている。
スーファミ内の容量でここまで描ききった作品も多くはないのでは。

ピクセルリマスター楽しみである、にゃにゃ!😻


6.まとめ+FF4好きの君、FF14やらないか?

FF4は30年たった今も色褪せない物語なのだが…!!!
ぼくのいまプレイ中のファイナルファンタジー14でフィーチャーバックするのである!

新しいアップデート暁月のフィナーレは11月にリリース予定なのでいまは震えて待つしかにゃい…!ガタガt


じゃなかった(おれは、しょうきに もどった!二回目)、

やっていない方は今始めたら11月くらいにはほどよく参加できるかんじになるので新規さんや復帰者さんに特におすすめをするのである!

これから始める人は無料トライアルがあるので、そこで遊んでみると良いよ!


「リリースして7年位たってるゲームでしょ?いまさらはじめても仕方ないんじゃ?(・・?」

実はそんなことはない。

FF14は他のゲームであるような、時間をかければかけるほど強くなり、その差が縮められないという時間優位というものが少ないゲームとして有名。

新しいアップデートがくるとプレイヤーの能力が平均化されるシステムなのだ。

初めてすぐから、7年前からやってる人と旅ができるし、同じレベルに合わせてダンジョンに行ったりできる。


復帰してからもそんなかんじなので、先行者が幅をきかせるような世界ではない(ぼくも3年休止してたしね。)

現行プレイ中のプレイヤーもナギ節と呼ばれるこの期間は別のゲームをしたりして楽しんでいる。


ぼくは毎日午後9時から一時間ほどclubhouseでFF14のルームを立ち上げているのでどんな感じになっているか知りたい人や始めてみたいけど不安という方は立ち寄って欲しい♪

ff14をしながら話したりもするけど、ゲームせずに雑談するときもあって謎の居心地の良さが発揮される部屋はこちらです。

怪しい飲料愛好会、釣り愛好家、アクアリウム愛好会、ウクレレ奏者のインド人好き、昭和サブカル(時についていけないが楽しそう!)、グラブル走りながらFF勢。

初見さん聞き専さん大歓迎だよ!

ff4愛を語ってくれる人も募集中♪


よんでくれてありがとう!すき!😻

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