52歳の死生観 -緩和ケアに携わる医師の言葉をもとに-
死生観に関して感銘を受けた記事を二つご紹介します。帯津三敬病院名誉院長の帯津良一先生がめぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊先生と対談したときの記事と、社会医療法人石川記念会HITO病院緩和ケア内科部長の大坂巌先生の記事です。
私は現在、52歳ですが、現時点での死生観を書き留めておこうと思います。
死は命の終わりではなく命のプロセスの一つ?
帯津先生は、免疫学の多田富雄先生が「自然界は場の階層から成る。素粒子から虚空(こくう)までの階層を成している」と述べていることを引用した上で、次のようにおっしゃっています。
私にとって、「死後の世界を視野に入れた医療」や「死を命の終わりではなく命のプロセスの一つ」という考え方は、私の死生観を大きく変えるものでした。多くの方も同様に思っていると勝手に想像しますが、「死んだらすべてが終わり」と考えていたためです。
この記事に触れるちょうど半年くらい前に、工学博士・田坂広志氏の「死は存在しない」という本を読んだばかりであり、その中に出てくる「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」というものの考え方を思い出させるものでした。
ゼロ・ポイント・フィールド仮説
ゼロ・ポイント・フィールドには「この字宙の全ての出来事の情報が記録されている」という仮説で、大坂先生も記事の中で次のように触れています。
このような考え方は、私の想像を超える世界であり、実際にどうなのかわからないところではありますが、「なるほど、こういう考えもあるな」「確かに、不思議な感覚に遭遇することがあるな」と感心させられます。
死後の世界のことは誰もわからないと思いますので、どうしてもスピリチュアルな話になってしまうのですが、田坂氏が著書の中で科学的な解明を試みていることに感銘を受けます。
阿頼耶識(あらやしき)
ゼロ・ポイント・フィールドは、仏教の唯識にも通じるところがあります。
唯識は、大きく表層心と深層心に分かれます。表層心は「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」の「前五識」と前五識が捉えた物事に意味を与え判断を下す「第六識」からなります。
そして、深層心は、第七末那識(まなしき)と第八阿頼耶識(あらやしき)からなります。阿頼耶識は遠い過去からの言動の履歴を蓄え、人の行いや思考の根本を司どるもので「不可知」とされます。この阿頼耶識の説明を聞くと、まさにゼロ・ポイント・フィールドのことを言っているように思えます。ちなみに、末那識は阿頼耶識の影響を第六識に伝える役割です。
非認知脳からFLOW、そしてZONE
阿頼耶識は不可知、すなわち知ることができない領域ですが、それは先日投稿した「非認知脳→FLOW→ZONE」の流れを思い出させます。
FLOWは非認知脳(=外界からの刺激に左右されない領域)によって自分のありのままの感情を大切にすることで機嫌良い感じの自然体を作り出すもので、FLOWが極まればZONEに入ります。一流アスリートがZONEに入るというあれです。
このZONEの状態というのが、ゼロ・ポイント・フィールドや阿頼耶識と同義ということも言えるのかもしれません。
広がるエネルギー
死生観とは少しずれるのですが、帯津先生は次のようにも述べています。
これは、まさに私たちが携わる介護福祉に言い換えることができます。
「支援という場のエネルギーが高まれば、子供たちや利用者さんが救われ、スタッフやご家族が癒される。それが人々の幸福、社会にも影響を及ぼすようになる。」
エネルギーや熱意というものは目に見えないものですが、私たちはそれをなんとなく実感することができます。ドラゴンボールでいう「元気玉」という皆の「気」の塊のようなもの、ゼロ・ポイントフィールドや阿頼耶識といった場所のエネルギーが地球や社会に影響を及ぼすという考え方は否定できるものでもないように思えます。
人生の四季
いのちを24時間に例えたり、四季に例える考え方があります。人生100年だとすれば、私は現在、52歳なので、24時間で言えば昼の12時を過ぎたあたり。四季で言えば夏真っ盛りを終えて、秋に差し掛かったところと言えるでしょうか。
芽吹き、花咲き、さまざまな出会いや経験、挫折を繰り返し、それらが実る時季です。やがて夜に差し掛かり、冬が訪れる。この世でのいのちは無くなるけれど、私にはやるべきことがあります。実った成果を次の世代に引き継ぐことです。
引き継ぐということ
この世に名を残したわけでも大成したわけでもない。ですが、培ってきたものを引き継ぐことはできます。それは思いだったり、ノウハウだったり、会社や物だったりもします。引き継ぐことの大小だったり、良し悪しというよりも、遺せるものを遺せばいいと考えています。それが生の先にあるものであり、死なのかもしれません。
死んだら心はどうなるのか分かりませんが、物質としては灰となって大気中を漂うのでしょう。それは科学的に言うといつか消滅するのかしないのか分かりません。ただ、灰になって空や海や大地に還っていくのでしょう。
死も生の一部というのであれば、死は人生の通過点です。もしかすると、生の方が人生の通過点に過ぎず、死とはただただ元に戻るだけなのかもしれません。
そうは言っても、余命宣告されたり突然に死が訪れない限り、私にはまだ生きる時間は残されているようです。次の世代により良きものが遺せるよう、あまり気負いせずに日々を積み重ねていこうと思います。
最後に、大坂先生が素敵な詩と言葉、それぞれ一編ずつ紹介されていますので引用させていただきます。