【劇評232】歌舞伎座第二部、七月は白鸚の『身替座禅』の内省。菊之助の『鈴ヶ森』の気迫。
一年のうち、もう半分が過ぎたのか。
終息の気配が見えないコロナウィルスの脅威のなか、懸命の興行が続く。
歌舞伎座の七月大歌舞伎、第二部は、白鸚、芝翫の『身替座禅』に、菊之助、錦之助の『御存知鈴ヶ森』が並んだ。
まずは、『身替座禅』。白鸚の山蔭右京が初役とは驚いた。年表を見ると十七代目勘三郎を相手に、初代白鸚(八代目幸四郎)は、玉の井を昭和二十六年に立て続けに勤めている。
ともあれ、白鸚の年齢を考えると、初役に挑むだけの意欲は驚異的である。
奥方玉の井を勤める芝翫も初役だという。
体躯の立派な立役がこの役を手がける例はめずらしくないから、故・十八代目勘三郎はなぜ、芝翫を相手役に選ばなかったのかをいぶかしく思う。
ともあれ、お互いが役を探り合う感触もあって、右京と玉の井の間に、慣れ親しんだ夫婦というよりは、お互いの警戒心が耐えない関係が浮かび上がる。
そのため、玉の井は痛烈な嫉妬心を持った恐妻家としての色彩が強くなった。白鸚の右京は、恐妻家への怯えのなかに、どこか諦めや悲しみが感じられる。
こうした右京と玉の井は、これまで観たことがなく、誇張した喜劇というよりは、どこな内省的な芝居となり、めずらしく思った。これには、白鸚の藝風も大きく作用しているのだろう。
さて、『御存知鈴ヶ森』は、四世鶴屋南北の作。『浮世柄比翼稲妻』の一部だが、暗い夜道を江戸へと向かう若侍が、雲助たちに襲われる。仮にリアルに演じれば、奇っ怪な舞台ができあがる戯曲である。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。