【劇評315】『RAGTIME』は、不安定な私たちの時代をあからさまにする。
私たちは、ラグタイムの時代から、進歩したのだろうか。それとも、懲りることなく、墜落をやめていないのだろうか。
ミュージカル『RAGTIME』(テレンス・マクナリー脚本 リン・アレンズ歌詞 スティーブン・ブラハティ音楽 藤田俊太郎演出 エイマン・フォーリー振付)は、過去のミュージカルの単なるリバイバルではない。私たちの時代が、いかに、不安定で、自信をうしなっているかをあからさまにする。
まず劇の冒頭から、強烈な楽曲「Ragtime」で、さまざまな場所をつないでいく。
裕福な白人が住むニュヨーク州ニューロシェル、アフリカ系アメリカ人らが多く住むハーレム、移民が乗るアメリカ行きのボロ船、そしてショーガール、イブリン・ネズビッド(綺咲愛里)のスキャンダル、さらにはアメリカの変革を訴えるアナーキストのエマ・ゴールドマン(土井ケイト)。
こうした劇の背景を、ひとつの楽曲によって、高い水準で、語り尽くしてしまう。ストレートプレイでは、「筋売り」に陥りがちな冒頭を、こうしたインパクトのある歌唱と曲によって、観客を巻き込む。ミュージカルの基礎的な力のある舞台だと冒頭からよくわかる。
その結果、浮かび上がるのは何か。この劇に登場する多くの人々が、人間としての生き方を懸命に求めていると語りかけてくる。
冒頭、理屈に合わないといったのは、たとえば豪邸に住むファーザー(川口竜也)は、最愛の妻マザー(安蘭けい)や幼い息子(大槻秀英翔/村山菫紘)がいるが、北極海に冒険の旅に出る。
貧しいサラ(遥海)は、コールハウス・ウォーカー・JR(井上芳雄)とのあいだに出来た生まれたばかりの子(平山正剛/船橋碧士)を、ファーザーの家の花壇に、置き去りにする。
幼子を見つけたマザーは、この子を施設にやるどころか、サラとともに家に引き取ってしまう。
そして、ユダヤ系のターテ(石丸幹二)は、病気がちの娘(生田志守葉/嘉村咲良)とともに、あてもなくニューヨークへ辿り着く。
もちろん、本人には本人なりの理由がある。けれど、他人にはそれが理解出来ない。あるいは、本人さえも、なぜ、そんな行動をとったのか分かっていない。
当然のことながら、だれもが常識的な行動をとっていては、ドラマは生まれない。テレンス・マクナリーの脚本は、かなり周到に、ホワイト、ブラック、移民の三家族の対立を導き出しているとわかる。
ミュージカル『RAGTIME』は、圧倒的な楽曲によって、時代の空気を描き出していく。そこでは黒人や移民への差別は濃厚であり、ショービジネスや映画での成功は、アメリカンドリームの実現を意味する。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。