【劇評288】彌十郎が、故・勘三郎を彷彿とさせた。『人間万事金世中』。
強欲な家族に徹している。
新春の歌舞伎座第二部『人間万事金世中』(今井豊茂演出)は、数ある黙阿弥のなかでも異色の台本である。英国の劇作家リットンが一八四○年に初演した戯曲『money』の翻案であり、当時の横浜を舞台に移した。文明開化の音が聞こえる明治の世相が、今となっては、遠い異国のようにも見える。
この作品は、武家社会の崩壊とともに、すべてが金の価値観に貫かれている。この妄執によって、日本人もまた倫理感を失って、現在にいたるまで底知れぬ拝金主義に陥ったのだとよよくわかる。
黙阿弥劇の情調ではなく、乾いたスプラスティックとして辺見勢右衛門(彌十郎)、妻おらん(扇雀)、娘おしな(虎之介)の一家が盛り上げる。劇の構造としては、林之助(錦之助)が長崎の親類から巨額の遺産を相続してから、勢右衛門一家の態度が一変するところに主眼にある。けれども、今回の舞台は、五郎右衛門(芝翫)によって遺言状の中身をそれぞれが知るときの喜びと落胆が見どころになる。
彌十郎が『髪結新三』の家主に輪をかけた強欲ぶりで舞台を引っ張っていく。扇雀は『狐狸狐狸ばなし』のおきわがベースにあるのだろう。そこに芝翫が加わると、『野田版 鼠小僧』の與吉が思い出される。舞台全体に、故・勘三郎が彼らとともに舞台に立っていたときの雰囲気が甦ってきた。
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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。