さようなら勘九郎。十八代目中村勘三郎襲名前夜。(下)
『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』(2016年文春文庫)には、幻の章があります。紙幅の関係で、初校ゲラが出た時点で、やむなく掲載を諦めました。 あまりにも残念で、悔いが残るので、ふたつの章を、蘇らせることにしました。読んでいただくのは、新書版で言うと、167ページの「二十二、十八代目中村勘三郎」の前におかれるはずだった文章です。 今、読み返しても、懐かしく、あの日々が思い出されます。
二十一、さようなら勘九郎 勘九郎四十九歳 三津五郎四十八歳
三津五郎は、勘九郞の十八代目中村勘三郎にあたって、こんなスピーチをした。
「寿(ひさ ルビ)ちゃん、哲(のり ルビ)ちゃんと呼び合う僕たちが八歳で同じ舞台を踏んでから、半世紀近くが経ちます。子供の頃から今に至るまで、仕事もプライベートもともにしてきた正真正銘の幼なじみがいるということは、特別なことだとは思いませんが、歌舞伎の外から見ると不思議なことかもしれません。
襲名もまた同じ。このたび僕が十八代目勘三郎を襲名して、三津五郎と勘三郎として舞台に立つことになるわけですが、名前が変わっても僕にとって君という存在がいることは、すっかり当たり前になっています。そんな君が僕の勘三郎襲名を機に、普段なら照れくさくてなかなか言葉にできないことを伝えてくれたのは大変嬉しいことでした。
勘九郎最後の日にパーティで読んでくださったお手紙は大切な宝物ですし、同じ日にいただいた桃の花の形をした色紙に"哲ちゃん、どこまでもついていくよ、そばにいるよ"とあったのには泣けました。今回書いて下さった"僕には君がいて、君には僕がいる"という言葉にも、まったく同感ですし、ここからありがたく思います。本当にありがとう」
同い年の役者であるのは、よいことばかりではない。まず役を争うライバルとしてふたりの関係ははじまった。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。