野田秀樹と対談していた脳科学者中野信子の『脳の闇』を読んでみた。本音が炸裂する。
『兎、波を走る』のパンフレットで野田秀樹と対談していた脳科学者中野信子の新刊を求めてきた。すぱっと小気味のよい断言にひかれたからだ。
題して『脳の闇』。現代人の不安や恐怖は、脳の病理であるとして捉える本で、著者の個人的な体験を踏まえているので、説得力がある。
ただ、説得力がありすぎるのも問題で、脳の機能を科学的に解析できるという考えは、一歩誤ると、危険なのではないかと考えさせられた。
どうも日本の論壇には、こうした脳科学者に、自分たちのやっかいな人生を読み解いてほしいという欲求があるようだ。養老孟司先生が作ったこの流れは、どこか、外国人による日本論が尊重される流れと繋がっている気がする。
私たちの世界の外部にいる専門家によって、私たちの内部を解読してほしいとどこかで願っている。ただし、それは「こころ」ではなく「脳」であり、「心理学」ではなく「脳科学」であるところが、私たちの闇のありかを指し示している。
いくつかの章のなかで、私が共感したのは、「正義中毒」の章である。
この章の焦点には、「正しさを逸脱した人間に対して制裁を加えたいという欲求」である。
おおよそスキャンダルを売り物にする週刊誌は、こうした欲求を土台にして、記事を提供している。おおよそほとんどの人間に潜在的にあるこの欲求を制御する方法はないのかと思考するところに、中野の誠実さがある。
「他人を糾弾することは、自省よりずっとたやすい」との指摘は、私たちの脳のなかに存在する闇を照らしだしている。
本書をおすすめしたいのは、正義をふりかざす論調に違和感をもたずにはいられないタイプの人々である。ポリティカル・コレクトネスが絶対とは思えないタイプの人々である。そして、付け加えるならば、自分自身が気難しい部類ではないかと疑っている人々である。
もっとも、こうした人種はマジョリティを構成せず、あくまでマイノリティである。一般社会では「空気を読めない」と分類される人々である。私はあえて、こうした人々でありたいと願っている。
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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。