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【劇評357】俳優座の『慟哭のリア』がもたらした異物としての人間

 俳優座が、桟敷童子の東憲司を演出に迎えての『慟哭のリア』を観た。

 シェイクスピア原作 松岡和子訳 東翻案・上演台本・演出とクレジットされているが、原作は跡をとどめぬくらい改変されている。現実には、東の創作と考えていいだろうと思う。

 時代は明治時代の日本、炭鉱の景気に沸く筑豊を舞台に、炭鉱を一代で大きくした室重セイ(岩崎加根子)を中心にすえる。

 シェイクスピアの『リア王』には、リア王と三人の娘をめぐる主筋がある。また、グロスターと二人の息子をめぐる脇筋がある。
 脇筋では、正嫡のエドガーと妾腹のエドマンドの生まれによる対立がある。今回の『慟哭のリア』では、この主筋と脇筋をひとつにしている。

 また、三人の娘は、三人の息子へ書き替えられている。セイを支えて炭鉱を運営する長男の龍之輔(斎藤淳)、次男の正之輔(田中孝宗)のもとに、東京で学んでいた三男の文之輔(野々山貴之)が帰ってくる。セイはこの三人のうちだれにも炭鉱主を継がせず、軍部に山を譲り渡すと宣言して物語は悲劇へと走り出していく。

 エドマンドに相当する善治(渡辺聡)は、この三兄弟の下に生まれた母親の違う子として設定されている。善治の室重家に対する憎悪と復讐によって劇が動かされていく。その意味で、この『慟哭のリア』は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の構図とも似ている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。