【劇評214】玉三郎の後に玉三郎はいない。歌舞伎座Bプロ。『雪』と『鐘ヶ岬』の藝境。
歌舞伎座第三部、偶数日、奇数日という演目変更ではなく、玉三郎がふたつのプログラムを出して、みずからが構築した舞踊の総決算を行っている。
Aプロの『隅田川』が、六代目歌右衛門に対する返歌であるとすれば、Bプロの上『雪』は、故武原はんに向けての献花に相当する世に思った。
玉三郎は、文学座の杉村春子の当り役を継承する試みを長年にわたって行ってきた。地唄舞の『雪』をはじめて手がけたのは平成十二年の九月、ル・テアトル銀座での公演である。武原はんは、平成十年に亡くなっているから、このときの踊りは、追悼の意が込められていると深く感じ入った。
それから八回の上演を重ねて、玉三郎の舞踊公演では、核になる演目に成長した。今回の歌舞伎座での踊りは、振りを切り詰め、内面に深く沈んでいる。
〽花も雪も 払えば清き袂かな
花も雪も、華やかな人生の隠喩となる。どれほど、美しい恋愛があっても、過ぎ去ってしまえば、我が身ひとつが残る。こうしたひとりの女の諦念が、全体を覆っている。
玉三郎は、深い執念をのぞかせずに、あくまで淡々と踊っている。下として『鐘の岬』を出すことを意識してか、ここでは、姿を重んじ、感情の流露をわがこころのうちにとどめている。武原はん、最晩年の『雪』は、枯れた我が身への愛おしさがあふれでる舞台だったことを思い出す。
玉三郎の『雪』には、一方、ある種の威厳さえそなわっている。ディグニティを保つためには、なにかを諦めなければならぬ。遠い鐘の声、ひとりで座敷に寝る淋しさ。恋の春秋に生きた女のさまざまな表情が、玉三郎の踊りから浮かんでは消えた。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。