【劇評220】菊之助の『春興鏡獅子』は、十年後、伝説の舞台となるだろう。
記憶に残る伝説の舞台が生まれるには、なんらかの必然が働いている。
五月大歌舞伎は、三日に初日を開ける予定だったが、緊急事態宣言下にあったために、開幕が遅れた。宣言そのものは延長になったが、僥倖に恵まれ、また、関係者の懸命な努力があって、条件付きではあるものの、十二日から、公演が行われると決定した。
例年五月の大歌舞伎は、團菊祭が行われてきた。
今回は、その看板を掲げてはいないが、第三部の『春興鏡獅子』が出た。音羽屋菊五郎家にとって、もっとも大切は舞踊のひとつである。菊之助が踊るのは、本興行では、平成二十六年以来、実に七年ぶりとなる。
しかも、胡蝶には、長男丑之助が、彦三郎の長男亀三郎とともに配役されている。
いやがおうでも、力の入るところに、初日延期、そして幸運なことに再開が決まった。
奮い立つのは当然ではないか。
そう考えて、なんとしても十二日の第三部は見逃せないと思った。万難を排して歌舞伎座に出かけると、こうした期待に胸を膨らませた観客が集まっていた。
『春興鏡獅子』は、江戸城の大奥で、将軍の求めにより、小姓弥生が踊りを披露するしつらえとなっている。
家老浅井五左衛門(楽善)、老女飛鳥井(萬次郎)、用人関口十太夫(彦三郎)、局吉野(米吉)のやりとりがあって、恥じらう弥生の手を引いて、飛鳥井が舞台へと誘う。
初めは舞台上手袖奥の控えの間に引っ込むが、ふたたび誘われ、広間へと入る。将軍臨席の大舞台で踊ることの恥ずかしさが、この「出」の核となる。
菊之助の弥生は、恥じらいのなかに、どこか、晴れがましさがある。単に照れや不安に取り憑かれているのではなく、迷いをふっきってハレの舞台を踏む強靭さがある。
この芯があるからこそ、『春興鏡獅子』は、単なる座興ではなくなる。〽忍ぶ頼りの」でのお辞儀からは、将軍への捧げ物となり、ひいては踊りの神様に向けた供物となった。
技術的、体力的に、菊之助は、まごうごとなく成熟期にある。
故・勘三郎、三津五郎が口を揃えて難しいと語った〽されば結びの」からの「川崎音頭」も、余裕をもって踊り、「袱紗さばき」も、茶事の品格を崩さない。
矢の字結びでは、後ろ姿になって決まるが、背を見せつつも、身体の線が整って美しい。〽春は花見」では、ひなびた早乙女を写した詞章をおもしろく踊って、御殿女中の品位を保っている。あくまで趣向なのである。
手踊りは、『京鹿子娘道成寺』の〽ただ頼め」でも菊之助の得意とするところで、両の手の隅々まで神経が行き届き、躍動するおもしろさがある。
〽時しも今は、花には憂さをも打ち忘れ」の花は、桜ではなく、牡丹である。その茫洋とした景色、しっとりとした様子を踊りに写していた。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。