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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2024年10月の記事一覧

【劇評355】神も善意も金銭も恋も。蠱惑の舞台。白井晃演出の『セツアンの善人』を観た。

中銀カプセルを呼び出す 二〇二二年に解体された中銀カプセルタワーは、歌舞伎座からほど近い場所で異彩を放っていた。  建築家黒川紀章の代表作であり、シンプルな立方体を積み上げた設計だった。ベッド、収納家具、バスルーム、テレビ、時計、冷蔵庫が標準装備されていて、ミニマムな住宅であり、都市の細胞でもあった。  白井晃上演台本・演出の『セツアンの善人』(酒寄進一訳)の舞台には、このカプセルタワーを思わせる装置が組まれている。正面と下手には、仮説のはしご。それぞれのカプセルのうがた

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「三田文學」秋季号に、勘九郎の『髪結新三』の悪、その色気について書きました

 「團菊爺から勘三津爺へ」と題して、雑誌「三田文學」に時評を書きました。ご想像の通り、早くになくなった勘三郎、三津五郎へのオマージュです。時評としては、今年の八月納涼歌舞伎、勘九郎が初役で勤めた『髪結新三』を取り上げています。  この舞台は、NOTEでもすでに「勘九郎の『髪結新三』果敢な挑戦」と題して書いていますが、「三田文學」では、父勘三郎をなぞるのではなく、悪の魅力を発散する勘九郎について綴っています。どうぞ、お読みください。

さん喬の独演会。毎年一度の逢瀬

浮き草の暮らし  コロナをまたいで、さん喬の独演会に通っている。  浮き草のような暮らしをしていた若い自分は、ずいぶん寄席に通った。パリーグの試合も後楽園球場でよく見たから、毎日の身の処し方がよくわからなかったのだろうと思う。  勤めに出るようになって、忙しくなった。  二十五歳くらいからは演劇評論の仕事も始めた。  激務をぬって、劇場に通い、批評を書いてきたから、時間がなかった。土曜日曜日に仕事をするのも当たり前だと思って来た。ヨタロウの生活から一転して、四十年余り、

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近松は女をどう見ていたのか。松井今朝子の『一場の夢と消え』

 松井今朝子の『一場の夢と消え』を読み終わる。歌舞伎を題材に数多くの小説を発表してきた作者の総決算というべき作品である。劇界の巨人、近松門左衛門の生涯を網羅的に書いている。かといって研究書の堅苦しさはない。近松の実人生とその作品をいかに泳ぎ渡るか、小説家の想像力と研究者の実証性を兼ね備えていて読ませる。

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近隣の家から清元が聞こえてくる。その情調を『婦系図』で味わう。

 余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)には、格別の情緒がある。  近隣の家から、清元などの音曲が聞こえてくる。伴奏音楽ではなく、劇中のなかに組み込まれていて、近所で稽古をしているお師匠さんや藝人が呼ばれている座敷の様子を観客に想像させる。劇では男女の別れの哀しみが描かれている。そこに、音曲の情調が加わるのだから、こたえられない。 江戸と地続きだった明治  十月歌舞伎座夜の部『婦系図』(成瀬芳一演出)は、小唄と清元が効果的に使われていて、江戸と地続きだった明治という時代をし

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【劇評354】歌舞伎座夜の部。『婦系図』と『源氏物語』に伝承の意味を考える。七枚。

歌舞伎の伝承について  歌舞伎の伝承について、この頃考えに沈む。  十八代目勘三郎、十代目三津五郎が亡き今、大切なリングが失われた。彼らより年代が上の大立者と若手花形へいかに藝が伝えられるのか。先頃、松竹から発表になった三大名作、『仮名手本忠臣蔵』、『義経千本桜』、『菅原伝授手習鑑』の連続上演も、この危機意識がようやく現実の演目に反映したとも思えてくる。  さて、錦秋十月大歌舞伎、夜の部は、鏡花の『婦系図』から。本来、新派の演目である。「本郷薬師縁日」「柳橋柏家」「湯島境

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『アメリカの悪夢』は、大統領選を控えて、現実を直視せよと、日本人に語りかける。

 なぜアメリカへの渡航を控えていたか  今、必要な本はなんだろうと考えてみた。 ディヴィッド・フィンケルの『アメリカの悪夢』(古屋美登里訳)は、大統領選まで一ヶ月に迫った今、トランプの悪夢とはなにかを考えるために、きわめて有用な本だと思う。  トランプが大統領だった時代、私はアメリカに渡航するのを控えていた。民主党支持者だからではない。ドナルド・トランプのような人物を大統領に選出する国に足を踏み入れたくないと直感的に思ったからだ。  本書は、こうした直感がなぜ生まれるの

随想のふりをしながら核心に踏み込む

 東京新聞に書評を書きました。現代台湾の作家クオ・チヤンシェンの『ピアノを尋ねて』です。亡き妻が家のどこかにいる感じが、村上春樹の短編『トニー滝谷』と似ているなと思いながら読み進めました。連想が浮かんでも、書評に書くとなるとまた別の話になります。  書評の対象からすこし距離をとって、随想のふりをしながら核心に踏み込むことができないか。そんことを考えながらこの頃は書いています。  以下のリンクから無料でお読みいただけます。 https://www.tokyo-np.co.jp/

【劇評353】出口のない現実は、いつまで私たちを苦しめるのか。劇団昴の『広い世界のほとりに』。

  なぜと舞台は語る なぜ、ひとは自分が望んではいない未来へと、転げ落ちていくのだろう。  サイモン・スティーブンスの『広い世界のほとりに』(広田敦郎訳 眞鍋卓嗣演出)を観て、深いため息をついた。  この戯曲は、英国マンチェスター郊外のストックボートに住む家族の混迷と失望を描いている。住宅の修理を生業とするピーター(江崎泰介)と妻のアリス(落合るみ)は、ふたりの息子を育てている。  長男のアレックス(笹井達規)と恋人のサラ(賀原美空)は、地元で働きつつも、未来が見えな

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