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久保田万太郎、あるいは悪漢の涙

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今となっては、俳人としての名が高いけれど、久保田万太郎は、演劇評論家としてそのキャリアをはじめて、小説家、劇作家、演出家として昭和の演劇界に君臨する存在になりました。通して読むと…
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#源之助

源之助わすれじの萩植ゑにけり(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第九回)

 明治四十二年、慶應普通部卒業。  父親は否応なしにすぐ店で働かせようと思っている。万太郎もまた、仕方ないと自分でも諦めていた。しかし、卒業間ぎわになると、周囲は騒がしくなる。  ある者は高等学校へ、あるものは、高等商業へ行く。  黙ってそれを聞いているのは辛く、高等工業ならば図案科に入ればまんざら店の仕事と縁のないこともない。父のお許しがでないとも限らないと考えた。 「しかし祖母(としより)や阿母(おふくろ)はさうとは考ひぇやいたしません。何処までも真面目に、上の学校へつ

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駕にゆられてとろとろと一杯機嫌の初夢に(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第六回)

 万太郎の脳裏に焼き付いたのは、『三人吉三』のお嬢吉三であり『妲妃のお百』『蟒お由』の毒婦だった。  『三人吉三』をのぞいては今日見る機会の少ない演目なので、説明を加えておく。  『三人吉三』は、安政七年に書かれた河竹黙阿弥の代表的な狂言で、今日でもときおり上演される。明治三十二年一月(万太郎九歳)と明治三十八年十二月(万太郎十六歳)、宮戸座で源之助はお嬢吉三を演じている。  本外題は『三人吉三廓初買(巴白浪)』。序幕として演じられる庚申塚の場「月も朧に白魚の かがりも

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脳裏に焼き付いたのは、『三人吉三』のお嬢吉三(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第六回)

 明治三十六年、十三才になった万太郎は高等科四年を卒業し、四月、父親の反対を押し切って、祖母の口添えにより本所錦絲堀にある東京府立三中(現在の両国高校)に入学している。  日清戦争後の国威高揚と人づくりを図る政府は、中学校の充実にちからを入れた。府立三中は、明治三十四年、京橋区築地にあった府立第一中学校分校を改め、創立された。  のちには下町の名門校とされ、一年上に後藤末雄がおり、二年遅れて芥川龍之介が入ってきた。芥川龍之介とは、府立三中、在校時に交友はない。  十二、三

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