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久保田万太郎、あるいは悪漢の涙

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今となっては、俳人としての名が高いけれど、久保田万太郎は、演劇評論家としてそのキャリアをはじめて、小説家、劇作家、演出家として昭和の演劇界に君臨する存在になりました。通して読むと…
マガジンのディスカウントを行います。1280円→880円です。『久保田万太郎の現代』(平凡社)の刊…
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#花柳界

凡そ人間には意志によって生きる人と、感情に頼って生きる人とがある。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第二十八回)

第七章 水上瀧太郎  ひとは親友をいかにして選ぶのだろうか。  その選び方によって、その人間の本来持っている性行があらわになる。  耳にざわりのいいことばかりいってくれる取り巻きは、実はその人物をひどく退屈させたりもする。  苦言や非難をあびせかけてくる友人をむしろ好む人物もいる。彼らは友人の真摯な批判を、じぶんに対する愛情の深さとして理解するのである。  至極大ざっぱな言葉使いではあるが、若し、凡そ人間には意志によって生きる人と、感情に頼って生きる人とがあると云えるなら

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花柳界は、虚実のかけひきのなかで、恋愛を商品とする。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第十七回)

 小島政次郎の『久保田万太郎』は、「まだ、対(たい、ルビ)で芸者と遊んだことのない私達は、芸者に対して一種異常な憧れを抱いていた。芸者といえば、荷風の相手であり、十五代目(市村)羽左衛門の相手であった。 そこに何かロマンティックな幻影を勝手に描いていた。」と、当時の文学青年が花柳界に抱いていた心情を語っている。  年若くして華やかなデビューを飾っただけに、万太郎には、実社会の経験もなく、生地浅草と家業の職人の生態のほかには、身をもって知る世界はない。  題材に窮した万太郎は

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しぐるゝや大講堂の赤煉瓦 (久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第十六回)

4 小山内薫     小山内先生追悼講演会  しぐるゝや大講堂の赤煉瓦 「感情(かんじやう)の動(うご)き方(かた)があまりに微弱(びじやく)で、読(よ)んでは受取(うけと)れても、演(えん)ぜられては受取(うけと)まいと思(おも)はれる憾(うら)みがある。」「観察(かんさつ)の態度(たいど)の如何(いか)にも『芝居(しばゐ)』を離(はな)れた所(ところ)のあるのを買(か)つたのである。 ----小山内薫『万太郎「Prologue」選評』  荷風と時を同じくして、森鴎外

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