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久保田万太郎、あるいは悪漢の涙

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今となっては、俳人としての名が高いけれど、久保田万太郎は、演劇評論家としてそのキャリアをはじめて、小説家、劇作家、演出家として昭和の演劇界に君臨する存在になりました。通して読むと…
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#小説

イヤなやつでいい小説を書くやつと、立派な人間でへたな小説を書くやつと、君はどっちを取る? (久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第四十回)

 今井達夫は、その貴重な評伝『水上瀧太郎』(フジ出版社 昭和五十九年)のなかで、昭和八年ころ、水上邸で行われた水曜会の席で、不意に放たれた万太郎の発言を記憶に刻んでいる。 「ねえ、今井君、イヤなやつでいい小説を書くやつと、立派な人間でへたな小説を書くやつと、君はどっちを取る?」  人格的には、とてもかなわないと思いつつも、作家としては私の方が上だと万太郎は自負していた。  水上の父は明治生命の創業者、澤木四方吉は新潟の素封家の生まれ、小泉信三の父も学者であった。  明治

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幸福のなかで、わたくしはかうした小説を書いたのだ。・・・・・・かうした不幸な小説を・・・・・・(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第三十八回)

 万太郎の「古き浅草」とは、待乳山から望む風景ばかりではない。下町の旦那衆がかたくなに守ってきた矜持のありかたでもあった。  彼はじぶんの作品のなかに、滅びようとしている幻を封じ込めようとした。それはじぶんじしんのなかにも眠っている蛮族の血を自覚していたからだ。かつて憧れ見ていた大人たちのようにはじぶんは生きられない。  もし、じぶんのなかの「古き浅草」を守りつづけるのだとしたら、作中の「わたし」のように逼塞した生活を選ばなければならないだろう。  けれど、万太郎は作家

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實は、去年、これのおふくろが亡くなりまして・・・・・・(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第三十六回)

 渡辺町時代に書かれた代表作ほひとつに、中央公論に断続的に連載された小説「寂しければ」がある。  死んだ妻の命日に息子を連れて寺まいりにでかけた「わたし」は、帰りに食事に寄った根岸の「笹の雪」で、昔なじみの五秋さんに出合う。  かつて小梅の宗匠のところで俳句をともにしていた仲間である。五秋さんから、拈華さんの話がでる。宗匠は、露心庵の跡目、名跡を継ぐものとして拈華さんを考えていた。  しかし、拈華さんは、吉原の仲の町にいたお女郎と大阪に出奔したという。  五秋さんは「わたし

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どうせお前には商売ができやしないんだから。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第十二回)

 荷風の『すみだ川』は、幼なじみへの恋心にやぶれた中学生長吉をめぐる物語である。  夏の日盛り。俳諧師松風庵羅(「羅」の上に草冠がつく)月が、浅草今戸にすむ実の妹をきづかうところからはじまる。  小梅瓦町から、堀割づたいに曳舟通りをゆき、隅田川の土手にあがって、待乳山を見渡す。  竹屋の渡し船にのって、向河岸に渡り、今戸八幡神社にたどりつく。妹お豊は、常磐津の師匠をしながら十八歳の長吉を旧制中学にやって、将来を期待している。長吉の子供時分の遊び相手のお糸が芸妓にでることに

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