遊びといえば、「芝居ごっこ」の立ち回り(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第四回)
祖父萬蔵は、万太郎が七つの歳に亡くなったが、すべてのことに影になり、日向になり心を配ってくれた祖母千代は、万太郎二十九歳の秋まで健在だった。
祖母は、「いへば男まさりの、料簡のしつかりした、ときにつむじを曲げると随分皮肉なこともやり兼ねなかつた人でした。----そのくせものゝいたはりもあれば、人付合いもよく、華奢つ気でしたから始終外をであるいていた」(『秋のこゝろ』)。
出歩く先は、まず第一に芝居と決まっていた。
歌舞伎座、明治座はもちろんのこと、手近の浅草座、常磐座