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虞美人草

夏目漱石の作品に『虞美人草』があります。この作品の第11章に1907年(明治40年)に上野で開催された東京勧業博覧会が登場します。

東京勧業博覧會畫報 明治40年

本資料は東京勧業博覧会の様子を写した写真集です。博覧会は明治40年の3月20日7月31日までの3ヶ月間、今の上野公園で開催されました。主催者は本資料の序でこの博覧会の意義をこのように書いています。
「今回の博覧会は、陳列品の精華、周囲の風光、建築の雄大、誠に東京市民の誇りとするに足るべく・・・」
本来博覧会は国内物産の開発・奨励が目的でしたが、この博覧会は会場の光景や建築を含めた総合的な演出が見所のようです。

開会式の第一会場

博覧会は680万人が訪れました。第五回内国勧業博覧会の来場者が530万人でしたから成功と言っていいのではないでしょうか。


植物温室

解説には植物温室は小笠原島のバナナ、パイナップル、農科大学からソロン、トマト等が出品されて観覧者は海外にいる気分になったと書かれています。


赤十字社陳列館


凌雲橋と演芸館


観覧車


第一会場の夜景

この博覧会の見所は観覧車やイルミネーションといった視覚、知覚を刺激するアトラクションでした。『虞美人草』にはイルミネーションをこのように書いてあります。
「博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーションになる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求めんがためにイルミネーションを見て、あっと驚かざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時、始めて生きているなと気がつく」
『虞美人草』は彼が職業作家として執筆した第1作で、博覧会が開催された明治40年に朝日新聞上に連載されました。新聞ですから当時話題となっている時事を積極的に取り入れたのかもしれません。
日露戦争が終わり、文明開化の総決算といったイベントがこの東京勧業博覧会でした。

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