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巌谷小波先生2
巌谷小波は若き頃、芝の料亭紅葉館の女中須磨と浮名を立てられる仲になったのですが、博文館の社長の息子大橋新太郎に須磨を奪われるということがありました。巌谷小波の師匠尾崎紅葉はこのことを題材にして『金色夜叉』を書いたのだそうです。こんなことがあったのにその後も巌谷は博文館での有力作家であり続けたというから驚きです。
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さて、この写真にはどういう人々が巌谷と写っているのか気になりましたので調べてみました。上段から行きましょう。右から順に解説します。
・1番右 沼田笠峰(ぬまたりゅうほう) 評論家雑誌「少女世界」等主筆。巖谷小波門下。
・2番目 西村渚山(にしむらしょざん) 明治38年博文館入社、編集員。巖谷小波を中心とする木曜会に加わる。
・3番目 岡野 栄(おかの さかえ) 本の洋画家、版画家、口絵画家小林鐘吉や杉浦非水らと分担執筆した巌谷小波の「日本一の画噺」シリーズなどが知られている。
・4番目 巌谷小波
・5番目 武田 桜桃(たけだおうとう) 俳人,記者,小説家「太陽」「文芸倶楽部」「少年世界」の編集に従事、巌谷小波や江見水蔭らの下で助筆。
・6番目 宮川春汀(みやがわ しゅんてい) 明治時代の浮世絵師。明治31年5月小波が主催する「木曜会」に入会し、彼らと作品を批評したり句会を開いたりした。
・7番目 木村小舟(きむら しょうしゅう) 少年雑誌編集者・童話作家「博文館」に入社し、少年雑誌の編集や執筆活動に精力的に活躍し、巌谷小波・田山花袋・大町桂月・武田桜桃らと共に博文館の黄金期を支えた。巌谷の晩年には『小波お伽全集』『還暦記念小波先生』など、師の業績の総まとめ的な編纂事業にエネルギーを傾ける。
・8番目 太田 三郎(おおた さぶろう) 洋画家、挿絵画家。博文館の雑誌の表紙画や口絵、挿絵を描く機会が多かった。
・9番目 山村 耕花(やまむら こうか) 日本画家、浮世絵師、版画家。『少女世界』の口絵多数手がける。
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・下段1番右 黒田 湖山(くろだ こざん) 日本の小説家、記者。同郷出身の巖谷小波に師事。小波と共に1885年(明治18年)に発足した文学同人結社の硯友社で活動し、日本初の純文芸雑誌である『我楽多文庫』に参加、執筆する。
・2番目 橋本 邦助(はしもとくにすけ) 以前にもご紹介した明治から昭和に活躍した洋画家。雑誌,単行本の挿絵,口絵なども手がけた。1895年(明治28年)創刊で小波が編集していた、博文館発行の児童文学誌『少年世界』やそれに続くシリーズに参加、多くの児童文学作品を発表する。
・3番目 山中 古洞(やまなか こどう) 明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、日本画家。1900年(明治33年)刊行の巖谷小波著『世界お伽噺 第13編 豫言書』の挿絵を描く。
・4番目 杉浦 非水(すぎうら ひすい) 日本のグラフィックデザインの黎明期より活動し、商業美術の先駆けであり現代日本のグラフィックデザインの礎を築いた人物の一人。
・5番目 竹貫佳水(たけぬきかすい) 小説家、編集者。1904年(明治37年)博文館に入社。「少年世界」「中学世界」編集に従事。児童文学作品を多く書く。
明治の出版界と芸術界のそうそうたる面々といったところでしょうか。巌谷小波が子供達に残した遺書には「財産はなし。ただ名のみを残すべし」と書いてあったそうです。63年の生涯でした。
参考文献:『人間臨終図鑑Ⅱ』