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或る少女の断片収集

先日、骨董市に行きブラブラ店を見ていると軍事郵便の手紙と一緒に大量の雑誌の切り抜きが並んでいました。手に取った瞬間、これはいいぞと思いました。切り抜きは戦前の少女雑誌の切り抜きだったからです。

袋いっぱいの切り抜き

切り抜きには1922年と記述があるものもあり、販売していた店主に話を聞くと同じ場所で仕入れたとのことだったので、年代はその頃と見て間違いありません。1922年は大正11年です。一括で買うことに意味がありますので少し値が張りましたが交渉して少し安く購入できました。骨董市の醍醐味ですね。

1922の記載


少女雑誌ではありませんが、大正10年の山形市内の雑誌購読数は合計で1420冊で大正9年12月の山形県立図書館での雑誌閲覧者は83名でした。それまで女は本など読まなくてもいいとされてきましたが、知識階級の若い女性の間で婦人問題の研究が盛んになるにしたがい雑誌がしだいに売れるようになります。当時の雑誌購入数から考えてもお金に余裕があるお嬢様がせっせと切り抜いていたのではないかと妄想します。

大正ロマンが感じられます

当時の印刷技術からカラーでも2色刷りではありますが、少ない色を駆使してお洒落なイラストの数々を見ることができ、ため息が出ます。
イラストを見た時竹久夢二っぽいものがあると思っていたら、彼と親交があった蕗谷虹児のイラストでした。彼のイラストの切り抜きが一番多く、どうやら元の持ち主はファンだったようです。蕗谷は藤田嗣治とも交友があり、パリ留学時代、藤田に子供の名付け親になってもらったそうです。
とまあ、ざっくり切り抜きの説明をしてみました。展示まで1週間ですが、著作権に配慮して展示しても大丈夫そうなものは展示したいと思います。
この切り抜きに関しては調べると面白そうなので、別の機会に「或る少女の断片収集」としてご紹介したいと思います。

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