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朝井リョウ「正欲」を読んで

読んだのは多分9月か10月で、一気に読んで一気に書いた文章をずっとWordに保存していた。いつか手直ししてアップしようと思っていたけれど、時間がかけられそうになく、拙いメモ書きのままだ。
それでも他人からの反応が気になるので上げてみることにしたのが以下の文章だ。


すごく気持ちが落ち込んだ。
重い気持ちを数日引きずりそうな予感がしている。

冒頭の文章を読んでこれは…と思って購入したけれど
夏希の方は思っていたよりも明るい方向に進み、大地と八重子の方も希望が見えたかのようにみえていた。

半分以上読んでいる間は自分の捻くれた思考との親和性が高く、共感でいっぱいだった。
こんなことを考えている人は少数なんだろうなと思っているけれど、この本の作者がいて、この本を支持している人が多くいるであろうことを考えるとありふれた思考なのかもしれないななんて思いながら読んでいた。

しかし大地と八重子の会話から覆される。自分は不幸を集めて不幸に浸って人と壁を作ることで楽をしていたのかなと思わされた。いま学校に対してモチベーションが落ちていることも全部自分がコミュニケーションをとる努力をしていないからで、そうやって不幸ぶってれば楽だよねというセリフが刺さった。両親に対しても私は色々と思っているが、それも思いすぎだ。完璧な人間なんていないのに人に期待をしすぎているから色々と思ってしまうのかもしれない。自分が少し嫌悪感を抱いているそれに、愛を注がれて育てられた結果として今の自分がいるのにも関わらず、恵まれた状況にいる自分を横に置いて、妹が可哀想だのなんだのと考えているのは高慢だとも思う。
話が逸れたが二人の会話、ともう一つ検察の頭の中で響く「馬鹿にするなよ」のあたりからそれまでマイノリティに思いを馳せて、マジョリティであれることの凄さとマイノリティの生きづらさのことばかりに意識が飛んでいたけれど、マジョリティもマジョリティであるために必死で、本当にマジョリティであれるのか不安で確認し合っているという部分で
あぁ、みんな苦悩を抱いているんだ。マイノリティだけじゃないんだ。と少し失望した。
マイノリティな思考をしているから生きづらいとばかり思って不幸ぶっていたけれどマジョリティだってその中に苦悩はあって、それを表に出さずにやっていってるだけなのかもしれないと思うと、不幸ぶってばかりで苦悩を隠し通すことができない自分に嫌気がさした。
三人は取り調べられ、法にかけられることになってしまったけれど、その前は希望を見出して、人との繋がりを得ようとして、暗い状況から脱出しようとしていた。
どうせ人生長いんだから自分も明るい方向へ向かっていく時間を長くとったほうがいいのかなと思った。

マイノリティ側に共感しながら読んでいたら、マジョリティでい続けることの大変さを説いてくる。この部分によってマジョリティ側のマイノリティについてもマイノリティ側は気づかされる構造になっているのがすごい。

「地球に留学してるみたいなんだよね、私」
自分が高校生の時に感じていた 自分は周りと同じような 「女子高校生」ではないのにという気持ち。女子高校生とされているし、間違いなく女子高校生であることはわかっている。厨二的な発想ではないのだけれどそう思っていた。
中身はおじさんなのに女子高校生の制服をきているような。どこか騙しているような感覚を思い出した。

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