小説┊︎ノスタルジックに恋をして
「——私ね、実は君のこと好きなんだ」
大学のサークルの先輩から言われたこの一言で僕の日常はたった今大きく変わった。ずっと止まっていた時間が進み出したような、そんな感覚だ。
「・・・・・・酔ってます?」
「烏龍茶でどうやって酔うの?」
「そう、ですよね。すみません。ほんと」
あまりの急な出来事に相手に聞こえるのではないかというほど心臓が強く脈打ち、手がぶるぶると震えてしまう。深夜に急に呼び出されたと思ったらカラオケに連れていかれ、一時間ほど経った時なんの前触れもなくそう言われたら冷静ではいられないだろう。
僕が吃って震えが収まらないままコップに手を伸ばしジンジャーエールを飲む姿を見て先輩は笑った。
「君ってそういう所ほんと可愛いよね」
僕の方が間違って酒でも飲んだのかと思うほど顔が熱くなり、頭がクラクラとしてきた。
「ね、せっかくカラオケに来たんだから何か歌ってよ」
「この状況で歌えると思いますか?」
「歌える歌える! ほら」
「無理ですって。僕のことからかってます?」
「からかってないよ。君のことは本当に好きだし、何か歌って欲しいとも思ってる」
告白がなければ何かしら歌っていただろう。こっちの気も知らないで先輩は僕にデンモクとマイクを渡してくる。何でもいいから全力で歌えば冷静さを取り戻せるだろうか。そもそもそれ以前に何を歌おうかすら頭に浮かばない。
「ちょっと待ってください。急に好きだって言われて何も気にせず歌えるわけないでしょう」
「まぁ、それもそっか。仕方ない、君が落ち着くまでちょっとだけ待ってあげよう」
そういうと先輩は足を組み、スマホを見始めた。その横顔ですら見ることの出来ない僕はただただ一人どうしたらいいのか分からず焦っていた。本来なら返事をするのだろう。だが、完全に返事のタイミングを失ってしまった。そもそも何て返事をすればいいのか分からない。
先輩とは普段からこうして会うことがよくあった。僕も正直先輩のことは気になってはいたし、好きだと言われたことはもちろん嬉しい。タイミングを失わなければ「実は僕も・・・・・・」と切り出せただろうが、あまりにも唐突で軽く言われてしまったものだから困ってしまう。
しばらくお互い無言の時間が続いた。この無の時間の気まずさは過去一だろう。
「そろそろ落ち着いた?」
「まぁ・・・・・・まだ完全に落ち着いてはいないですけど、さっきよりは・・・・・・」
「それなら良かった。案外初心なんだね。好きって言われても、そうですかって返されると思ってた」
「どんなイメージ持ってるんですか・・・・・・」
「えへへ。それで、歌えるまで回復した?」
「いや、返事とかはいいんですか?」
「別に?私はただ君のことが好きだから好きって言っただけだよ」
一つしか歳は変わらないはずなのに何故こんなにも大人の余裕のようなものがあるのだろう。僕が幼すぎるだけなのか。
「あの、なんで僕のことを?」
「んー。何でだろうね。何となく?」
「は?」
予想外すぎる答えに情けない声が出てしまった。何となくで僕なんかを好きになるなんて。僕がぽかんとしていると「何その顔」と先輩はまた笑った。顔にかかった長いウェーブの髪を耳にかける仕草に思わずドキッとした。
「気付いたら好きになってたんだもん。明確な理由なんて分からないよ。でも、そうだな・・・・・・。多分初めて会った時の出来事が1番のきっかけかな」
そう言いながら烏龍茶に口をつける横顔はどこか物憂げな表情だった。僕と先輩が初めて会ったあの時と同じ表情だ。
「初めて会ったの大学の図書館でしたよね」
「そうそう。じーっと見られてるなって思ってた」
「確かに見惚れてはいましたけど、そんなにじーっとは見ていませんでしたよ」
「見惚れてくれてたの?嬉しい」
つい口が滑った。まぁ、事実に変わりは無いのだが。
「君が話しかけてくれてよかった。あの時よく話しかけてくれたね」
「窓の外を眺めてずっと泣いている人がいたら気になりますよ」
「ダメだぞ女の涙に騙されちゃ」
先輩は僕に向かって子どもに注意をするかのように指をさしながらそう言った。女性が泣いていたら自分に関わりがないとしても、多少は動揺するだろう。他の人はしないものなのだろうか。
「あの時見ず知らずの僕を騙すために泣いていたんですか?」
「んーん。ちゃんと泣いてた。それに、話しかけてくれないかなってちょっとだけ思っていたんだよね」
「僕が声をかけなかったらどうしていたんですか・・・・・・。でもまぁ、あの時図書館にいたの僕と先輩だけでしたしね。何か、無視したら自分が後々気になって仕方なくなるだろうなって思って」
「なんだ自分のためだったのかぁ。純粋に泣いている女の子を放っておけないタイプだと思ってたのに。残念」
「放っておくのは嫌でしたけど、初めて会った奴に話しかけられるのも嫌かなって思って葛藤していたんですよ」
僕だったらそっとしておいて欲しいとか思っただろう。声を掛けることはとても勇気がいった。ましてや相手は会ったことも話したことも無い女性だ。あの時よく話しかけたなと自分でも思う。
「ちゃんと考えてくれたんだね。ありがとう。お陰様で今こうして新たに君を好きになることが出来たよ」
先輩は手を合わせて拝むように頭を下げた。もやもやするが指摘すればまた最初と同じ流れになるだろうと、何も言わずに炭酸が弱まったジンジャーエールを一口飲んだ。
「そういえば初めて会った時の写真まだフォルダに残ってるよ。えーっと・・・・・・ほら」
「うわっ、懐かしい。そういえば先輩そういうフィルムカメラみたいなフィルターで写真撮るの好きでしたね」
「こういうノスタルジックな雰囲気好きなんだよね」
初めて会った記念に、ということで撮った写真はここと変わらないカラオケの部屋で撮られたものだったが、フィルターの影響か一年ちょっと前に撮ったはずなのに随分と昔のものに感じる。と言ってもセピア色とかモノクロに加工されている訳では無いのだが。この写真を見ていると思わずあの日を思い出してしまう。
その日は午前中だけの講義で、午後からは特に何の予定もなかった。
午前の講義のためだけに来ていると考えるとなんだかもったいないような気がして、とりあえず学内の図書館に行って本を読むなり課題のレポートを進めるなりしようと思って行くと、そこに窓の外を眺めている先輩がいた。
初めて会った時先輩は当時付き合っていた恋人に浮気をされた挙句、それを言及したら逆ギレをされ振られてしまったらしい。同じ大学内の人ではなかったらしく、それだけが唯一の救いだと言っていたのを覚えている。
泣いている姿を見て僕は声をかけた。
「大丈夫ですか?」
とおずおずと聞くと泣きながら首を振った。
「僕で良かったら話聞きますよ」
なんてセリフを実際に初めて会った人に言うときが来るなんて思っていなかった。
「浮気されて振られちゃってさ。ほんと、最悪だよね。もうすぐ記念日だったし、二人で過ごせたらいいなとか一人で勝手に舞い上がってて馬鹿みたい」
頑張って笑顔を作りながら話す姿を見て何とも言えない気持ちになった。何か言葉を返さなきゃと思っても、それは僕が伝えていい言葉なのかとか余計なことを考えてしまい結局「そんな事ないですよ」という在り来りな言葉でしか返すことが出来なかった。
そこから僕は先輩の話を黙って頷きながら聞いていた。いつの間にか涙は止まっていて辛い気持ちの話から、旅行した時のこととか誕生日に貰ったものとか、それまでの思い出話に変わっていた。
「ごめんね。会ったばかりなのに長々と喋って」
「全然大丈夫ですよ。僕が声をかけたんですから」
「ありがとう。まだしんどいし、あんなやつもう嫌いだ!って思うけどどうしても楽しかった思い出とかも出てきちゃうし、立ち直るには時間がかかるかもな」
「ゆっくりでいいと思います。辛い時間が続くのが一番辛いと思いますけど・・・・・・」
「何か恥ずかしいよね。浮気されて振られるとか。私がダメだったみたいに思われるじゃん。こんなことなら私から振っとけばよかった」
もう既に立ち直っているのではないかと思ったが、そんな事言えない。心の中で口をバツにしておいた。
「そうだ、君この後授業ある?」
「え? ないですよ」
「よし! じゃあ私の気分転換に付き合って!」
「何するんですか?」
「決まってるでしょ。こういう時こそカラオケで思いっきり歌うの! ほら、行くよ! 準備して!」
断れる雰囲気でもなく、その日は結局夜まで付き合わされた。そこから連絡先を交換し、時々一緒にカラオケに行くようになった。それと同時に先輩が入っていたバンドサークルにもついでに入れられた。
あの時から、今まで代わり映えしなかった生活が一気に明るくなった。強制的にサークルに入れられたが先輩達に可愛がってもらっているし、なんだかんだ楽しいしいろいろと感謝している。
大学でも、休みの日でもよく会うようになっていつの間にか何でもない時でも先輩のことを考えてしまうようになったのも事実だ。きっと自分が思っている以上に僕は先輩のことが好きなのだろう。
思い出にひたっている僕の横で何かを思い出したのか「ひとつ聞いていい?」と言った。僕がコップに口をつけたまま頷くと、ふっと笑顔になる。
「私の事好き?」
「——っ!」
思いもよらない質問に驚き、ジンジャーエールを飲み込むタイミングがずれてしまい思い切り咳き込んだ。その姿を見て先輩は笑っている。
「大丈夫?」
「だい、じょうぶじゃ、ない、です」
咳き込みながらそう答えると、先輩は笑いながらも「ごめんごめん」と僕の隣に座り背中を摩ってくれた。
しばらくすると治まったが、まだ喉に違和感がある。肺も痛い。険しい表情をしていたのか、本気で心配されて顔を覗き込まれたが今はやめてくれ、と顔を逸らした。
「ほんと、ごめんね。でもからかったわけじゃないよ」
「大丈夫です。ちゃんと分かってます。ただびっくりしちゃって」
「そうだよね。いきなりこんなこと聞かれたらびっくりするよね。そういえば返事とかいいって言ったの私だし・・・・・・。今の質問聞かなかったことにして」
恥ずかしそうに俯きながらそう答える。そもそも一番最初に僕が自分の気持ちも伝えていればこんなに気まずい雰囲気にはならなかっただろう。
「先輩って時々勢いに任せて行動しますよね」
「あ・・・・・・、うん。そう、かもしれない。・・・・・・もしかして怒ってる?」
「んー。少し?」
僕がそう返すと先輩の目が少しだけ潤み慌てふためいている。その姿を見て思わず笑ってしまった。
「すみません。冗談です。全然怒ってないです」
「嫌われたらどうしようって本気で焦っちゃったじゃん!」
ワンテンポ遅れて反応し、僕が笑っているとそれについても怒り出した。思い切り肩を叩かれてジンジンする。
「ほんとすみませんって。ただちょっとだけからかいたくなっただけです」
「ひっどいなあ・・・・・・」
「僕も先輩のこと好きですよ。本当はこんなタイミングで言いたくなかったんですけど」
「えっ・・・・・・。ほんとに?」
「嘘なんてつかないですよ。僕は先輩のことが好きで——」
最後まで言い終わる前に先輩は僕に抱きついてきた。
「ありがとう」
「僕はただ、先輩のことが好きだから好きって言っただけですよ」
「それ私のセリフ」
「もらいました。あともう一つだけ言いたいこと言っていいですか?」
「なに?」
「僕と付き合ってくれません?」
強く抱きしめられるのと同時に小さな声で「お願いします」と返ってきた。嬉しくてつい強く抱きしめ返す。
「苦しいよ。ねぇ、私からもひとつお願いしていい?」
「なんですか?」
「キスしてほしい」
「あー・・・・・・」
顔を見られないように抱きしめたまま少し考えたあと、不慣れでぎこちないキスをした。
お互い何曲か歌い、普段と変わらない時間を過ごした。
「やっば! もう三時だって」
「え!? 今日一限から講義あるのに、オールで行くしかないか・・・・・・」
「・・・・・・今日一緒にさぼっちゃう?」
「そうですね。今日ぐらい休んじゃいますか」
「あ、そういえば今日サークルの活動あった気がするけどまぁいっか」
絶対何か言われるよね、と二人で笑う。
「ねぇ、今日の記念に写真撮ろ」
「いいですよ。またフィルムカメラみたいなフィルターで撮るんですか?」
「もちろん。ちゃんと今日は日付が入ったフィルターで撮るからね」
フィルターの選択が終わったのか、撮るよー、とスマホを掲げる。以前と同じカラオケで撮る写真。
前よりも距離が近くなった僕たちの今日の出来事がシャッターを切る音と共にノスタルジックに写真に刻まれた。
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