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「200字の書評」(340) 2023.4.10



こんにちは。

桜の次はツツジが目を楽しませてくれそうです。15の春、18の春、そして就職の春を、喜びのうちに迎えたのでしょうか。人事異動もまたこの時期の定番、喜びと悩みが交錯するのでしょう。受け入れつつ、気持ちを遊ばせる心持も大事です。何が自分にとって大切なのかを常に問いかけることが必要だと思います。自分のなかの場所と時間がかみ合わなければ、それこそ悩みです。『遊び』を人生のどこかに据えておきたいものです。

さて、今回の書評はかねて気になっていた、小さな小さな図書館の実践と哲学を覗いてみました。




青木真平「手づくりのアジール 『土着の知』が生まれるところ」晶文社 2021年

こんな決断もあったのか。資本主義に覆われた大学、研究環境に息苦しさを感じ、奈良県の山奥に脱出した研究者夫妻。自宅で蔵書を公開した私設人文系図書館を開き、山村生活を実践する。闊達な知的自由獲得と都市から離れた生活は、網野善彦の主張する中世社会のアジールを彷彿とさせる。人文知の再評価について若手研究者と重ねる率直な討論は、新たな知の創造に向かう可能性を示す。もう一つの図書館の地平が開かれそうだ。




【卯月雑感】


▼ 坂本龍一の訃報はまさに悲報だった。癌との闘病生活を送っていることは知っていたものの、いざ直面してみると失ったものの貴重さが迫る。味わい深い映画音楽によって、スクリーンそのものよりもメロディーが耳に残っている(私自身では)。一世を風靡し新たな音楽シーンを創造したYMOの成功、浮名を流したこともあり、あの世界の人なんだ、と思っていた。それを覆したのは東日本大震災と福島原発事故に対する姿勢だった。「さよなら原発大集会」の呼びかけ人となり、壇上からの発言を聞いた。芸能人が反原発を公表するのは勇気のいること。彼も仕事は減ったという。怯まず平和を語り、原発や改憲への危惧を語り続けていた。東北の被災地へもたびたび出かけ、子どもたちの音楽活動を励まし続けたという。最近では死の床から、神宮外苑再開発の見直しを訴える手紙を都知事に出している。それをコイケは一顧だにせず、無情な対応であった。8日のTBS報道特集では以前の「日本は何でこんなに言いたいことの言えない国になっちゃたのだろう」という発言を紹介していた。『巨星落つ』大江健三郎につづき気骨ある昭和人がまた一人…。ムツゴロウも。


▼ 統一地方選挙たけなわ、WBC過熱報道の陰で消えかけている関心事は二つ。統一教会問題はメディアから消えつつあります。中央地方政界の自民党は深いつながりを曖昧にしたまま。忘れっぽい国民性は結局逃げ切りを許してしまうのだろうか。もう一つは、放送法の解釈をめぐる問題です。総務省の内部文書をもとに、国会では首相官邸からのテレビの放送内容への介入をめぐり厳しい追及がなされた。当時総務相のタカイチは捏造であるとか、本物だったら大臣も議員もやめるなどとどっかで聞いたような妄言を並べて、顰蹙を買った。ところが追及側の小西議員の憲法審査会を巡る失言により局面が一転。権力による報道の自由を論議すべき本筋が、小西発言への攻撃にすり替わっています。なぜ本筋は失われてしまうのだろうか。メディアの変質か?


▼ 映画「エデンの東」をDVDで観た。初めて観たのはほぼ60年前の高校生の時、拗ねた表情のジェームズ・ディーンの強烈さを覚えている。キリスト教から題材をとったものであることは、後に知った。抒情的な主題曲のレコード(45回転ドーナッツ盤でした)を買い、何度も聞いたものだった。彼はその後「理由なき反抗」「ジャイアンツ」などで主役を張ることになるも、24歳で交通事故により死去した。監督のエリア・カザンは才能を高く評価され佳作を多く残した。しかし戦後の一時期、ハリウッドを襲った赤狩り旋風では自己保身のために、議会で共産主義者とされる仲間の名前を証言し地位は保ったものの、裏切り者とされ信頼と名声を失った。多くの監督、脚本家、俳優が職を追われた。「ローマの休日」「大いなる西部」のウィリアム・ワイラー監督もその一人、赤狩りに抵抗した。




<今週の本棚>


阿刀田高「小説作法の奥義」新潮社 2022年

優れた構成とレトリックで読ませる作家が、書くことの要諦を惜しげなく披露してくれる。豊かな学識と想像力によって展開されるストーリーは時に深刻、時に奇想天外、小説の面白さは格別。夭折した中島敦への評価を興味深く読んだ。書き方の秘訣を教えられても、それを活かせぬ己の菲才は如何ともし難い。


内田樹「生きづらさについて考える」毎日文庫 2023年

ウチダらしさは相変わらず、読ませ、考えさせられる。彼もまた説得力、視点の確かさで文章の奇才であるかもしれない。いつも頷き、ハッとさせられる。冒頭こう警告する「戦後70年、私たちは同じ劇の何度目かの『再演』の時を迎えている。安倍政権が進めようとしている『次の戦争』の再演である。」と。マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」の冒頭を想起させる至言である。


ハイノー・ファルケ「暗闇のなかの光」亜紀書房 2022年

光さえ取り込むブラックホールの姿を、私たちは見せてもらった。見えないはずを可視化したのである。全世界の電波望遠鏡をつないで地球規模の観測によって、それは可能になった。そのプロジェクトの経緯と実際を丁寧に綴っている。有能で宇宙を知りたいという熱意が可能にした成果であった。天文学者、物理学者、望遠鏡技術者の奮闘に拍手。最終章で、著者は神への信仰を語る。最先端の研究者は宇宙の神秘に迫りつつも、あまりの深淵さに神を感じたのだろうか。キリスト教世界の不思議でもある。そこで思い出したのが池内了。池内は天文学者について『人類はこのようにして、あたかも神を追い求め続けるかのように広大な宇宙に挑戦し続けてきたのだ。』(「宇宙論と神」集英社新書)と述べている。宇宙を解明すればするほど神の領域に近づいているのかな、また読んでみよう。




★徘徊老人日誌★


3月某日 心浮き浮きと電車に乗り鶴瀬駅に向かう。太極拳の仲間との食事会、顔を合わせるのは何と3年ぶり。お互い少し歳を重ねたものの、昔に帰って懐かしさのあまりに話が弾む弾む。昼なのについジョッキが重なる。異口同音に語る「悩みがあっても面倒があっても、ここでの練習中は無になれた」などなど。それぞれ多少の健康不安は持ちつつも、前向きに生きている。数十年にわたる太極拳のお陰かな、と帰りの電車に揺られつつ微醺の頭で考えた。


4月某日 年度替わりの月初めは土日。仕事始めは3日になるのだろうが、図書館はどんな運営になるのだろう。直営だったら異動辞令を受ける前に勤務しなければならないのだろうか?などと余計なことを思い浮かべてしまう。もう16年も前なのに。


4月某日 消費者物価との対比で賃金はまたも低下とか。この現実の前では子供を持つのにためらいがあるのは明白。少子高齢化推進政策なのだろうか、このままでは日本消滅が現実化しそう。少子高齢化は統計上数十年前からわかっていたはず。新自由主義を排して人を大切にし、軍事費や天下り費用を軽減排除すれば、政策化は可能だったはず。




清明は二十四節気の一つ。字からして爽やかで清らかな感じがします。漢字は文字のそれぞれに意味がある表意文字とされています。本を読んでいて難しい漢字に目が留まってどんな意味を持ち、どうしてこのような形になったのか考えてしまい、そこで止まってしまうことがあります。日本語が乱れていると言われて久しいのですが、やたら横文字をつかったり、あえて誤読し違う意味を持たせたりする傾向があります。言葉を大切にしたいと思う昨今です。

どうぞお元気でお過ごしください。


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