辛い僧堂生活
昔、百丈懐海禅師(ひゃくじょうえかい)という方がおりました。
この方は、749年に中国でお生まれになって、生涯95歳まで生きた方と言われている中国、唐時代の有名な禅僧です。
またこの方は、現在の禅僧堂の模倣とも言われる「連屋、連牀建式」の禅院を初めて設立された方でもあります。
そして、禅僧堂における規則がしるされた、「百丈
」を定め、自給自足の体制を確立されたことでも有名なお方です。
その百丈慧海禅師という方によって初めてこの清規(しんぎ)というものが作られたんですね。
「清規」というのは僧堂の規則の事を言いますが、初めてその規則を作った方がこの百丈懐海禅師なんです。
それまで、僧堂そのものはありましたが、その僧堂に関する「規則」はなかったとされております。
そもそもなぜ僧堂にはこの「規則」が必要なのか?と言うことですが、今ここで簡単に述べさせていただくとすれば、まず僧堂で生活するのはもちろん人間です。また人というのは概念で支配されている者のことです。そのような人間は規則がない限り好き勝手やり始めます。規則があっても好き勝手やってしまう。それが人間です。
一方で本来の世界にはそうした概念は存在しません。人がいま全てだと思っている概念も本来存在しておらず、生まれてから育っていく過程で、脳の作用で、さもそれがあるように感じられてしまう、それが概念であり、それはまやかし物なんです。
本来の世界にはこうした概念は存在しないんですね。その本来の世界に立ち返る。これが僧堂生活のわけです。真実を実践する仏法の修行道場のあり方のわけです。
しかし人間はどうしてもその概念に支配されてしまう。好き勝手やってしまう。本来の命とそれていってしまう。だからそうならないためにも明確な規律が必要ということですね。僧堂は本来の世界を修行するというか、本来の世界を実践する場所だからです。
概念に惑わされない。惑わされても鐘が鳴れば坐禅を組まなければならないシステム。そしてその坐禅を組くことで、また真実の世界に立ち返ることができる。
そうしたことが可能になるからです。これがいわゆる大衆一如です。皆で同じことをする。
その「清規」にあたっては、当時の「律宗」の規則に従って作成されており、またその「律宗」の規則に従って生活をしていたと言われております。
そんな中「禅宗」の規則、「清規」を初めて作ったのがこの百丈懐海禅師だったというわけですね。
また百丈懐海禅師は現在にも受け継がれている連屋形式となる「僧堂」を作り、僧堂に「連牀」を作りました。
これはインドから中国に仏法をお伝えになった達磨様の教えを忠実に守っていたからだと言われております。
禅宗のみならず、世界の真実を伝える仏法においては何よりも大自然に従うこと。「清規」もそう、僧堂の「連牀」もそう。
大自然の規則に従った結果です。
僧堂生活においては大自然と向き合った過去の祖師が選定された規則に従っていればいいわけです。
ちなみに私も約2年間という短い間でしたが、僧堂生活を送っておりました。
あの時の経験はもう思い出したくありません。