昭和の女子中学生が本気チョコを渡す
中学2年生の私達は明日のバレンタイン決戦に向けて真剣勝負のチョコレート作りに臨んだ。
お菓子作りがプロ級の同級生マナちゃんに頼み込んで一緒にチョコレートを作ってもらうことになっている。仲良しのマユちゃんとヨッちゃんの4人でマナちゃんの家に集合した。
今みたいに100均なんて便利なお店はないのでラッピング用品を揃えるのは一苦労だった。田舎町にはかわいい雑貨屋さんもなく、いつも行くたこ焼き屋さんで譲ってもらったたこ焼きを入れる白い箱が私達の愛を詰め込む運命の箱になった。
それにもう一つの難関が、バレンタイン当日に学校で行われる「持ち物検査」だ。登校すると全員のカバンの中と机の中の持ち物を先生がチェックするのだ。学業に不要なものを持ってきた場合は没収されてしまう。わざわざこの日に検査して私達の淡い青春の1ページを潰さないでほしいと思うのだが、昭和の時代はこんな感じだったのだ。
私達はこっそりと用務員のカナメさんにお願いして、朝、教室へ行く前に用務員室でチョコレートを預かってもらう約束をしていた。
用務員のカナメさんはとっても優しくていい人だ。私達はたまに用務員室でカナメさんにお茶をご馳走になってお喋りをした。用務員室は狭いけどコタツも冷蔵庫もあって居心地がよかった。
いよいよマナちゃん家の台所でチョコレートトリュフを作る。
普段からよくクッキーやケーキを焼いているマナちゃんの家には私の家にはないお菓子作りに必要な道具が揃っていて、もうそれだけで成功の予感。チョコレートトリュフにしようと言ったのはマナちゃんで、皆も賛成したが、正直私はチョコレートトリュフがどんなものかよく分かっていなかった。
チョコレートを湯せんすると部屋中に甘い匂いが広がる。私達は甘い香りに酔いながら女子トーク炸裂で、どのようにお目当ての彼にチョコレートを渡すかを真剣に会議した。チョコレートトリュフを作るのは結構手間がかかって簡単ではなかった。もちろんYouTubeもクックパッドもない当時はマナちゃんが持っていたお菓子の本を見ながら作った。いくつか失敗して作り直したりしながらもどうにか全員分が完成した。私は結局ココアをふりかけたりしたくらいだった気もするが十分満足。愛情たっぷりこめて、たこ焼きの箱にチョコレートトリュフを入れ、それぞれかわいくリボンを結んだ。
私とヨッちゃんは同級生の野球部の男子に。
マユちゃんは生徒会長の先輩。マナちゃんはサッカー部のキャプテンで学年一番のモテモテ男子に。皆、明日のことを考えるだけでドキドキしていた。
あの頃の私達はとにかく好きな男子にチョコレートを渡すことが出来ればそれだけで大成功だったのだ。
私は放課後、人のいなそうな5階の理科室の前の廊下に彼を呼び出してチョコレートを渡した。人生初の足がガタガタ震えたのを今でも忘れない。緊張すると本当にこんな風に震えるのか。なんだかマンガみたいだなって思いながら、彼の顔もまともに見られずに手渡して、逃げるようにその場を離れたと思う。
ピュアなあの頃が懐かしい。
私達は4人とも無事に渡すことができた。メデタシメデタシ。
因みに、チョコレートを用務員室に預けなかったサッちゃんは持ち物検査で先生に見つかり没収されてしまい大号泣。ミーコはずっと好きだった彼に「ごめん、好きな子がいるから」と受け取ってもらえず大号泣。
バレンタイン当日はあちこちで泣いてる女子がいるのも恒例だった。
女子同士で慰め合ったり、ライバルにバチバチしたり、、、。
現代のように友チョコや義理チョコがなかった42年前の田舎の中学生のバレンタインの思い出話。
さあ、今年もファミリーバレンタインのチョコレートを買いに行かなきゃ。