転職した方がいいのか?しない方がいいのか?迷っている技術者のための参考note
◆はじめに
私は地方国立大学である群馬大学の機械科を修士課程まで出ています。はっきり言って群馬大学機械科の偏差値は高くありません。今ちょっと適当に検索して出てきたサイトによると電子・機械学科は45.0でした。私はおよそ100人いた同期の中でも成績は40番くらいでした。はっきり言って中の中ランクの大学で中の中の成績でした。
そんな私は、途中3年程の独立開業・個人事業主期間を挟み、現在の勤務先を含めて計4社経験しています。
1回目の転職は2004年4月に新卒で入社して7年半ほど経った2011年の10月、31歳のころでした。転職が決まるまでも決まった後もかなり悩みました。
「キャリアアップとか自分に言い訳しているだけで、今いる場所から逃げたいだけでは?」「新しいところで上手くやっていけるだろうか?」「1度転職したら癖になるのでは?」
結論は転職してよかったです。本気で転職を考えるほどの不満が解消されることなく1社目にい続けたら、今頃は世間でよく言われる「働かないおじさん」になっていた自信があります。それは私にとっても会社にとってもひいては社会にとって不幸なことです。
*注意!あくまで私の場合のお話しです。必ずしも転職を勧めるものではありません。悩んだ末に残るという選択もありだと思います。大事なのは転職【する/しない】を悩んだ末にどちらかを自分で決断したという事実だと思います。
◆noteの内容
1.私の年表
生誕から就職までを年表形式で、ときどきの世の中の出来事とともに振り返ります。
2.新卒就職のこと
私が新卒の頃はいわゆる就職氷河期でした。その頃のお話し。
3.転職(31歳)・転職(36歳)・独立(38歳)・再就職(41歳)
小見出し通りです。
4.結び
それでは本題です。
1.私の年表
私が産まれた1979年、実家はまだ黒電話(わかりやすいので黒電話と書きましたが、色は薄い緑でした。形状はいわゆる黒電話です。)、汲み取り式のトイレ、電力供給はまれに不安定になることがあったので停電に備えて家にはロウソクが常備されていました。新幹線は静岡を超えるときには電源周波数が切り替わるため一時電気が消えるというイベントが毎回ありました。パソコンはほとんど見かけなく、我が家には機械式のタイプライターがありました。
私が産まれる40年前はテレビも冷蔵庫も洗濯機もない時代。そこから比べると雲泥の差と言える環境ですが、そこから更に40年余りがたった2022年。やはり40年前とは雲泥の差と言えると思います。40年後の世界が楽しみです。
2.新卒就職のこと
私は大学院の修士課程までいったので2004年度の新卒でした。2004年というと就職氷河期です。
ではここで就職氷河期の定義を確認しておきます。人によっていろいろかとは思いますが、ここでは西暦2000年前後で有効求人倍率が1を下回っていた期間を指すことにします。つまり’93年から’05年までです。
私は2004年新卒なので就職氷河期世代ということになります。とはいえより底冷えしていた99年前後に比べると倍率は回復傾向にあり、比較的に就職はしやすかったと思います。
しかしながら、就職氷河期後期にあたる2004年新卒にはそれはそれで独特の厳しさがありました。入社後の話で、「10年先輩いない問題」です。
実際に私が配属された生産技術部では直近の先輩が10年前の入社でした。10年ぶりの新人、さらには部署初の院卒ということもあり、ずいぶんと期待されていたと思います。重い期待でした。結果としてなんでもやりました。
当時はメーカーの生産技術職という立場で生産設備の機械設計、電気設計、制御設計などの設計業務全般はもちろん、組立作業や配線作業、ちょっとした部品の機械加工などもやりました。鉄のボルトをかじらせたり、ホルソーの扱い方がへたくそで軸を折ってしまったり、アルミの切削を適当に考えて鉄と同条件で切削したらキリコがドリルに溶着したりしたのはいい思い出です。よくない。
書き出すときりがないのでこの辺りでやめておきますが、新人~若手のあたりで色んな業務を経験できたのは間違いなく今の自分にとって重要な経験でした。特に機械・電気・制御を経験したのはかなり大きいです。かなりきついこともありました。例えば初めてメインで担当した設備の改造工事。機械設計・電気設計・制御設計を自分で行い、現地での改造工事計画(計3日間)をたてて職人さんを連れて現地工事まで担当。設計を終えて部品を用意するまではよかったのですが、いざ現場に行くと全く計画通りにいきませんでした。1日目は現場あがったのが22時を超え、2日目は日付けが変わるまで現場で対応。3日目に先輩が応援に来てくれてあとは任せて帰ることになりました。
このように要所要所でフォローしてくれる先輩もいたので何とかいろんな仕事を乗り切りましたが、基本は年齢の近い同僚がいないため部署の忘年会幹事から通常の技術的な仕事(それも機械・電気両方)まで幅広く業務を担当したことで、かなり鍛えられたように思います。
3.転職(31歳)・転職(36歳)・独立(38歳)・再就職(41歳)
「やりがい」「収入」「休み」という3つの視点から3段階評価で各社にいたときの私の気持ちを整理します。
3.1 転職①A社⇒B社
A社を辞めるときの気持ち
やりがい ×
収入 ×
休み 〇
ちなみに本noteの終盤で出ますが、今いる会社はオール◎です。
入社当時から数年は違ったのですが、辞めるころには部署自体に具体的なテーマが少なくなっており、ものづくりをやっているという実感、特に機械を扱っているという実感が全くありませんでした。
そのためやりがいは×。収入に関してはこれは自身うつ病で休んでいた期間もあるため仕方がない部分もあります。それでも新入社員のころからほとんど変わらない基本給に残業を含めるとトータルでは4年目をピークに下がっているという事実に絶望しました。
一方で大した仕事が無いわけですから残業はほとんどなかったのですが、なぜか有休はあまり消化できませんでした。
ほとんど仕事せずに給料もらっているようなものなのでうらやましいという人もいましたが、まだ30手前の年齢でこの状態は将来に不安しかなかったです。
このころ、ある一つの悩みが出てきます。
「自分は技術者に向いていないのではないだろうか?」
現状を振り返ってみたときに、向いていないから今のような状態にいるのではないだろうか。と思ったわけです。社内報でガンガン開発成果を出している同期。学会発表に赴く同期。連名で社長賞を受ける同期。いち早く主任に上がる同期。自分が関わった製品が売り出される同期。翻って何もしていない(と思わざるを得ない)自分。
この差は何だろうか。自分は技術者たることが何もできていない、いや、できないのではないか。
転職を考え始めたころは実家に帰って親の仕事(弁当屋さん)の手伝いでもしてそのまま跡を継ごうかなぁなどと今から思うとずいぶんと甘い考えをしたこともありました。それぐらい「自分は技術者に向いていないのだろう」という思いがぬぐい切れずにずっと胸の内にありました。
いや、本音を晒せば「俺は技術者でやっていくのは無理だ」とまで思っていました。少なくともこの会社でやっていくのは無理だ。技術者を辞めるか、一旦転職するか。
とはいえ親から大学の機械科を修士課程まで行かせてもらって入社した会社。京都出身で群馬の大学に行き、Uターンで京都に戻って入社した会社は祖母の家から近かったこともあり、両親も喜んでくれていました。そんな会社を簡単にやめてしまっていいのか?
こんな思いも当然ありましたし、そもそもとにかく8時ー17時会社に行けば給料はもらえるし残業もほとんどなく土日祝日の休みもしっかりとれる。
この状況でやめたいというのは単なる甘えなのではないだろうかという思いもありました。
「転職活動を始める」
これだけでも悩みに悩みました。
そのような中で、技術者としての腕試しに「技術士 機械部門」に挑戦してみようと思いました。
実はこの数年前に当時の上司から「自己研鑽のために何か資格をとれ!」と言われて「技術士に挑戦します」と返事したところ「あんな難しい資格はお前には無理だ。電験3種をとれ」と言われました。
その時は素直に、というか上司の言うことは絶対だったので技術士への挑戦をやめて電験3種を2年かけて取得しました。(この資格ももちろんそこそこの時間を確保して勉強しました。)
しかし技術士は無理と言われたことがずっと頭の片隅にあり挑戦しました。はっきり言ってしまえば上司を見返してやろうという気持ちも強かったです。
なお、腕試しと書きましたが受からなかったら技術者を辞めよう、受かったら技術者として一人前にはなれていると思ってもうちょっと続けよう、そういう覚悟で受験を決めました。
結果、2010年に一次試験を合格し、翌2011年に二次試験を合格しました。
1回目の転職はこの資格挑戦最中でのことでした。
技術士二次試験の受験を申し込んで以降、転職サイトにあるエントリーシートの自己PRに「技術士二次試験、機械部門挑戦中」と書きました。
するとまさに技術士機械部門の資格を有する人材を求めていた企業から、まだ二次試験には合格していないとはいえ若さを加味して声がかかりました。
建設部門ならいざしらず、当時は30歳前後で機械部門の技術士を持つ人はほとんどいませんでした。2度の面接を経て採用が決まりました。年収がかなりあがり、家賃補助などの手当ても厚くなり、可処分所得はグンとあがりました。
ではこの転職をもろ手をあげて喜んだかというと、決まった後もやはり悩みました。もちろん嬉しかったです。ずっと技術者に向いていないと思っていた自分を認めてもらったように思えました。しかしやはり環境を変えるというのは不安になります。特にこの転職では京都から千葉への移動が伴い、プライベートでは1人目の子ども出産が近かったということもあります。ちなみに妻はバリバリフルタイムで働く人です。
悩みました。というかこれは一人で悩んで解決する問題ではありません。当然、妻に相談して後押ししてもらっての転職となりました。(ちなみに妻は正社員を辞めず京都の事務所から東京の事務所へ移動願を出して認めてもらいました。)
さて、ここまで悩みに悩んで断行した1回目の転職。いざ行ってみてどうだったか。ずばり後悔しました。事前に想定した仕事内容と大きく違いました。
A社を辞めてB社入社直後の偽らない気持ちは次の通りです。
やりがい ×
収入 〇
休み ×
収入は上がりましたが、想定していた内容と異なりかつ労働時間がグンと増えたため(平均残業時間は44時間、多いときで99時間)この評価です。
しかしこの評価は1年で変わります。想定していた内容と違う!とふてくされることなくどんな仕事も文句を言わずに一所懸命に取り組んだ結果、次のようになりました。
やりがい 〇
収入 〇
休み ×
要するに仕事が面白くなりました。とにかく一所懸命に仕事に向き合った結果、どんどん成果が出せるようになりました。仕事が面白い。1社目では味わったことのない感覚でした。しかし相変わらず残業は多かったので仕事のやり方に関して提言をするようになりました。上司は私の話に耳を傾けてくれました。しかし話を聞いてくれはするものの何も変わりませんでした。この時期に先輩と交わした会話が印象深く心に残っています。
先輩「あなたは偉くなるんだから、今の上はどうせ変わらないし、やり方をかえたいのであればその時にやればいいんだよ。」
私「でもその時は確実にまた時代の流れが変わっていて私のやり方なんて若手に煙たがられるようになりますよ。その時に私(年寄り)のやり方を無理強いすると若い人は定着しないだろうから結局は下からの意見を大なり小なり取り入れる必要があるんですよ。」
先輩「その時はその時だな。」
この会話が原因ではないですが、このあと2度目の転職に至ります。
B社を辞めるときの気持ちは入社時と同じになりました。
やりがい ×
収入 〇
休み ×
ただし意味合いは異なっており、仕事自体は面白かったのですが、ある程度の改善はされたとはいえ長時間仕事に拘束される現状とそれを本質的なところで変えようと(変わろうと)しなかった(ように見えた)、組織が嫌になったというところです。
*一応付け加えておくと会社自体は私が在籍していた当時の4年余りで残業を減らせ!サービス残業は絶対にやるな!というように変わりました。実際に在籍中にサービス残業の実態調査があり、過去数年さかのぼってサービス残業分を清算されたことがあります。10年近く前でこのような対応をされているので、今はより改善されているのではないかと想像します。
ただし過去の清算やサービス残業禁止!という号令をかけるようになったものの、本質的な部分、仕事のやり方そのものは変わろうとしなかったのでこの状態がずっと続くことが分かり、違う環境に行くことを考えました。
3.2 転職②B社⇒C社
やはり年収があがりました。そしてC社は技術系の人でなくとも知る会社。超大手です。おそらく私の学歴・社歴だけで評価するのであれば書類選考で落とされる可能性が高いです。しかしそこは経験者採用。間違いなく経験や資格などが評価されました。
職歴(○○の開発、△△の設計、□□の現場、など)あるいは資格(技術士・機械、電験3種、統計士など)が確実に効いています。
よく「資格なんて取っても意味がない」という声を聞きます。しかし私のように現状に不満があって別の世界に挑戦しようとするときには確実に効きます。資格を持っていて損をすることは無いです。
(資格なんて取っても意味がないとか、資格持っていなくても優秀な人はたくさんいるとか、なぜか資格を持たない人に上から目線で説教めいたことを言われることは多々ありました。)
前職B社では少なくとも技術的な仕事は面白い。そしてしっかりと成果を出せる。という経験をしていたため、面接でも自信をもって受け答えができました。例えば「○○を使った設備の開発経験はありますか?」と質問されたときに「○○は扱ったことありませんが、△△で□□の成果をだしたことがあり、その時の経験からその設備の開発においても成果を出せると思います。」という具合に受け答えができていました。
面接を受けたその日の夜に内定の連絡が来て1週間後に本社ビルへ役員面接を受けるために行ったのですが、東京のど真ん中にあるどでかい立派なビルでした。
それまでずっと工場努めで立派なビルに入ったことのない私はビルの入り口に立った時点で気後れして面接では終始てんぱっていました。見かねた人事の方が何度か助け舟を出してくれました。
この会社も結局は丸2年で辞めてしまうのですが、次のような流れです。
・新規ラインの開発を担当する。
・1年余りで試作機の生産ラインに適用できるまで完成させる。
・現地立上試運転をするも現地の担当者が誰も引き継ごうとせず、出張で忙しいと逃げられまくる。
・気づけば半年以上、ラインを納めた工場にはりつき(出張対応)。家に帰るのは金曜の夜23時。家を出るのは月曜の早朝5時。(飛行機を伴う移動に待ち時間を含めて4時間程度かかる。)
・なんとなくこのままそのラインを含めた現場担当になりそうな雰囲気=転勤の予感。
・辞める。
当初求められていたように開発担当として機械設計をやれていれば辞めなかったと思います。
C社を辞めるときの気持ち
やりがい ×
収入 ◎
休み ◎
2年間勤めて休日出勤は1日だけです。有給取得率も100%。辞めるときに有休消化するほど残っていませんでした。残業も2年間の月平均で10時間程度だと思います。収入も30代平社員にして大台に乗りました。
C社を辞めて独立開業、技術士事務所を立ちあげました。
3.3 独立 技術士事務所の立上
2018年3月に技術コンサルを担う技術士事務所を開所。3年間やってみて理想通りであれば続けよう。そうでなければ辞めよう。というラインを引いて始めました。
3年やってみて、機械設計者や現場管理者の人「手」不足のために実務を担う依頼が多く、コンサルの依頼(自分たちでやってみたのだけど上手くいかないからやり方を教えて欲しいというような依頼)はあまりない、つまり理想と離れていたため、やめて再就職しました。機械設計を請け負うのであれば会社員という立場の方が圧倒的にやりやすいと私は思ったからです。
3.4 再就職(現職)
現職場でのウソ偽りない気持ちです。
やりがい ◎
収入 ◎
休み ◎
紆余曲折を経て、今の職場に来てやはり自分は機械設計が好きなんだとやっと言えるようになりました。1社目にずっといては気づけなかったと思います。
2社目ではほとんど機械設計をやりませんでした。でもそこでの仕事も面白く成果がどんどん出ていく中で自信もつきました。自信をもって仕事ができるからさらに成果が出る。好循環だったと思います。
この経験がなければ技術者を続けられたかどうかわかりません。
3社目、やはり機械設計は面白いなと思いました。ここで機械設計をずっとやれていれば良かったのでしょうが、そこは大企業。一設計者という立場でずっといることは難しく、年齢が上がると管理職という道がリアルに見えてきました。
これまでの自分の生き方からがらりと変えて挑戦した独立開業では機械設計の需要の高さ(一方でコンサル需要の低さ)を実感しました。
これらを経て機械設計を続けられる仕事を探しました。
すでに40を超えていたので苦戦するかと思いましたがあっさり決まりました。あからさまにそうとは言わずともおそらくは年齢が原因で書類が通らないことがありましたが、ここだ!と思ったところに面接一発合格。ちなみに1回目、2回目の転職もそうでしたが、技術系の転職は先方にこのキャリアや資格ならぜひ来てほしい!と思ってもらえたことで即決しました。
現職場は30人程度の中小企業ですが、やりたいこと(機械設計)で充分な収入をいただき、休みや残業量も申し分ない。しかしこれは今の私だから言えることだと思います。例えば収入という部分ではC社や独立していた時の方が多かったですが、子ども2人をしっかりと育てるだけのものはいただいており、これで充分です。仕事面に関してはもし仮に新人でここに入社していたら、まともに成果を出せずにやはり自信を失っていた可能性があります。大企業と比べたら教育面が整っておらず、良くも悪くも個人主義な環境のためです。
4.結び
私は転職を重ねたことで自分の興味のあるもの、能力、ライフスタイルなどとぴったりはまる会社さんに巡り合うことができました。ただしそれはどこの会社さんでも基本はそこに骨をうずめる覚悟で一所懸命に仕事に取り組んできたから巡り合えたのだと思います。
正直、1回目の転職は逃げの感情が強かったように思います。だからこそ2社目では想定と違ってももう逃げ場はないと思い頑張りました。というか1社目と比べたらましだという思いで頑張りました。
2社目から3社目、あるいは3社目を辞めたのはキャリアアップ、というよりは自分の歩きたい道を歩くために踏み出したような感覚です。
この環境は耐えられないという逃げの転職も1度は良いと思います。キャリアアップと言えるような転職であれば2度、3度と繰り返しても良いと思います。
1社目にい続けていたら働かないおじさんになっていただろう私が、今は胸を張って仕事を楽しめている、十分な給料もいただいている、休みもしっかりとれている、充分満足だと言えるのは10年以上前30歳前後の頃に悩みに悩んだ末、転職という決断をしたことが全てだと思います。
はじめに述べたようにこれはあくまで私の場合であり、参考として頂ければ幸いです。悩んだ末に転職をしない、という決断もまた大事なことだと思います。
小学生から就職までの私の道のりを知りたいという奇特な方はこちらをご覧ください。
「いまさらながらの自己紹介~機械設計者の原体験~」
転職についてさらに深堀りした内容をご覧になりたい方はこちらの有料版をご覧ください。
「転職~本音の本音~」
以上
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