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【29歳無職日記】燃え尽き症候群

2024年7月30日


商店街の路地で

祖母の家から帰ることになって、夜行バスまでの時間があったので、私は香川県の高松市内にある、大きな商店街をブラブラしていた。

googlemapで素敵そうなカフェを見つけて、商店街から横道に一本入った路地の途中にあるビルの奥まった2階へおおるおそる足を踏み入れたら、思った通りの素敵すぎる空間だった。ジャズっぽいシャレオツな音楽と、昼間なのに夜みたいな薄暗い店内に、あたたかい赤オレンジ色の照明がぽつぽつといくつかの箇所を照らしていて、その灯りの先に、無数の書籍たちが、まばらだけれど、きっと順序立てて並べられているのがわかって、その空間にいかにも、似合いそうな、というかもはや同化しているレベルでぴったりしっくりのお兄さんが、アイスコーヒーとケーキを出してくれた。

その好きすぎる空間で、先日思わずタイトルに惹かれて買ってしまった本を開いた。

あぁ、まるで私のことを書いているようだとうなづきながらページをめくる。文字を追いながら、改めて、自分の社会人生活を少しだけ、振り返ってみることができたので忘れないように綴っておこうと思う。

20代で転職を6回繰り返している、著者のひらいりなさんに負けず劣らず、私も29歳の今、すでに転職を4回繰り返している。4社目の職場を退職した今、次は5回目になろうとしている私の記録は著者を追い抜く可能性だって大いに秘めていると思う。

本の中でひらいさんは、それぞれの職場の仕事と自分について深く考察を進めていた。そのどれも興味深かった。それと比べて自分は、どの職場から転職するときも、1日たりとも無職になる期間を設けていなかったので、仕事と自分の距離みたいなものをフラットな目線でつかめていなかったのかもしれない。無職の今だからこそ、振り返って考察してみよう。そんなことを思った。

仕事が好き、、だからこそ

どの職場に就職した理由も、退職した理由もそれぞれあれど、すべての職場において言えることは、どの仕事も好きだった。し、楽しかった。好きすぎて、楽しすぎて、残業とか休日出勤とか、そんなこと厭わないことも多々だった。それに、どの仕事においても、仕事が極端にできなかった、訳でもない。どの仕事もそれなりに早く適応して、真面目に働いていたし、勤務態度も業績もずば抜けてとまでは言えないけれど、ほどほどに、評価されていた自負がある。人間関係だって、もちろん、合わない人もいたけれど、どの職場でもそれなりに信頼し合える人に巡り合うことができて、退職した後もつながっている人たちも多い。

少し上から目線で書いてしまって恥ずかしいけれど、けれど、たぶん、これが私が結局のところ、転職を繰り返してしまう根本の原因なのだろうと思う。

燃え尽き症候群気質な私

燃え尽き症候群、という言葉があることを最近知った。

燃え尽き症候群とは、それまで人一倍活発に仕事をしていた人が、なんらかのきっかけで、あたかも燃え尽きるように活力を失ったときに示す心身の疲労症状をいいます。主要症状として、心身の疲労消耗感のほか、人と距離をとり感情的接触を避ける、達成感の低下などが認められています。精神医学的にはうつ病と診断されることもあります。

厚生労働省サイトより

私は病院に受診したことはないので、正確には言えないけれど、心当たりがありすぎる。そう思った。

私は仕事が好きだ。どこかで何かしら自分が誰かの役に立っていることって、普通に楽しいし、うれしい。だから仕事が好きだ。
1社目で働いていたときの会社の上司が、「仕事の成果は仕事。」と言っていた言葉が私はすごく好きだった。その上司は、成果を出して、評価されて出世することよりも、お客さんにどう喜んでもらえるかとか、社内でどう頼りにされるかとか、そういうことを仕事の喜びとしていて、自分がした仕事が、また新しい仕事につながった瞬間が一番うれしいのだと、よく言っていた。
私もそうだった。自分がやった仕事を目の前の人に評価してもらって、また新しい仕事をどんどんこなしていくことが、一番のやりがいで、だから自分のできる限り、とにかく仕事をした。まるで、おいしいおやつのご褒美を待ってしっぽを振る子犬のように、おいしい仕事のご褒美を待って、しっぽ振って仕事してた。

私の生きてきた人生の中で、周りの大人はいつもこう教えてくれていた。
何事も一生懸命に取り組むことが正義だと。
一生懸命に、汗水たらして頑張ることが大切だと。

そして、誰も教えてくれなかった。
その代償として、どこかしら自分が削られることもある。
なんてこと、誰も。

一生懸命に毎日仕事をしているとき、私は本当に気づかない。
自分が自身のキャパ以上に頑張りすぎていることを、気づかない。
自分が大好きな食事の時間とか、大好きな友人と過ごす時間とか、
大好きな寝床でゴロゴロ映画みたり、読書したりする時間とか。
そういう些細な日常の、自分にとってビタミンになる部分が少しずつ、少しずつ削られてしまっていることに気づかない。
そういうのって、いつだって少しずつなんだと思う。
食料不足で急に明日から食べ物何も食べれません。みたいに急にドドーンと来るんじゃなくて、少しずつ、少しずつ、気づかない程度に少しずつ、すり減っていく。そして、少しずつ削られていった時間がちりのように積もって、いつのまにか山となって、どうしようもなくなって、最終的に爆発しちゃう。

あぁ、もういっか。辞ーめよって。

お前はすでに疲れている

こうやって、転職してしまうことを今までずっと、飽き性のせいにしていた。
生まれてからずっと、知的好奇心に常に満ちあふれていた私は、興味を持ってすぐ飽きる。趣味だって、私の趣味は「趣味探し」ですといわんばかりに、いろんなことに飽きてきた。だから、仕事も飽きたのだと。それなりに仕事ができないわけじゃなかったからなおさら、ある程度できるようになった段階で飽きてしまったから辞めて次に行こうと思ったのだ。と。

けどたぶん違う。
「飽きたから」じゃなくって、たぶん、「疲れたから」なんだと思う。

100%一生懸命仕事をし続けていたら、誰だって疲れる。けど、疲れてないふりして頑張って、もう無理なんで気づかないのって身体と心が思った段階で、自分の意志に反して、私自身の身体と心が正確に出したSOSだったんだと思う。「あぁ、辞ーめよ。」って。今はそのSOSにちゃんと従って生きてきた自分に盛大な拍手を送りたい。そう思う。

「辞めたくなったら辞める。これが転職においても私の譲れないポイントである。」

著書の中で、書かれていた通り、本当に大切なことだと思った。

ほどほどに、仕事する

私は、ほどほどに仕事をするということができない。
けど、世の中には、ほどほどに仕事をすることが上手な人たちがたくさんいる。

上手に手を抜いたり、上手に手を抜いてないように魅せたり、上手にNo!と言えたり、上手に時間を区切ったり、上手にタスクを分散したり、、、。

よくよく思い返せば、一緒に働いていた、ほどほどに仕事をしている同僚たちに私は何度も救われてきたことを思い出す。彼らは、ほどほどがゆえにいつだって余裕があった。その余裕を私のために差し出してくれて、優しく助けてくれた。たぶんだけど、彼らが私を助けてくれていた理由は、彼らの「ほどほど」が昔は「一生懸命」だったからなのかなと思う。それがゆえの優しさだったんだろうなと思う。

彼らの「ほどほど」が先天的な遺伝ではなくって、後天的に、努力して身につけられたものだとするなら、私も「ほどほど」ができるようになりたいなと思う。

でもきっと、それって限りなく難しい。
だって、「頑張る」とか「一生懸命」とはまた違った類の努力だから。
おそらくだけど、自分との対話なんだと思う。
自分自身が、「疲れる」とか「楽しい」とか「嫌」とか「好き」とか
そういう声を無視せずに、素直にちゃんと耳を傾けることから見えてくるんだと思う。
けれど仕事において、「楽しい」とか「好き」っていうポジティブな感情にはきちんと耳を傾けることができても、お給料をいただいている身としては、「疲れる」とか「嫌」とかそういうネガティブな感情に耳を傾けることって、難しいし、忙しいときほど無視してしまいがちだと思う。

自分を極めるためにはどうしたらいいのか。
それは、自分が少しでも違和感を抱いたら、ひとつひとつきちんと距離を取っていくことだと思う。

著者の中に、こんな言葉があって、これが私にとっては一番難しいのだけれど、やっていかなければならないなと思った。

「楽しい」「好き」の加減を調整して
「疲れる」「嫌」なときはしっかり耳を傾けて調整して
そうやって、ほどほどに、自分のバランスのいいように、ほどほどに、自分自身をチューニングしていく。

珈琲と本と音楽と、きれいにチューニングされたこのカフェの空間の中で、ふと背中を押された気がした。

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