点と点を、つなげてこ
かの有名なスティーブジョブズは言った。
「Connecting the dots(点と点をつなげる)」
その意味を理解することができないままに義務教育を終えた人生だったことを振り返る。
「Not connecting the dots(点と点がつながらない)」
点は点で、どこまでいっても点でしかない勉強を今までしてきていたのだと今になってそう思う。
その事象が極めて顕著だったのは、私にとって数学だった。
私は数学が大の苦手だ。苦手どころか、今でも数字の羅列を見ただけで、無意識のうちに眉間にしわが寄り、吐き気を催す。
けれど、高校時代、数学はテストを受けて、割とよい点数をとらなければ次に進めないという割とハードなハードルがあって、私にとってはかなりの困難を極めた。
どうしようもなかったけれど、このハードルを乗り越えなければ、私はいつまでたっても数学から逃れられない。もう数学なんて、数字を見るなんてごめんだ。一刻も早く数学の呪縛から逃れるために、私は数学を猛勉強していた。
もはや気合だった。とにかく公式を意味など理解せずに覚えた。意味など理解せずに覚えているだけだから、ちょっと応用の要素が入ってくればいとも簡単に解けなくなる。仕方がないので、応用の要素が入った練習問題の解答まで全部丸暗記した。
全部覚えて、全部丸暗記して、やっと臨んだ試験の会場で全部飛んだ。せっかく丸暗記していたものがほとんど全部出題されなかった。結果は惨敗。もはや悲しくもなかった。
それでも何とか他教科の点数たちが加勢してくれて、私は無事、数学の呪縛から逃れることができた。数学だけじゃない。いわゆる受験のための私の勉強法は、ほぼほぼ数学と同じパターンの丸暗記で、その短期集中型の暗記力によって、私は無事大学に進学することができた訳だけれど、それから10年以上経った今、あれだけ受験勉強に時間を費やしていたにも関わらず、残っている知識、忘れていない知識は、ほぼほぼゼロに等しい。
おそらくあの頃、とにかく詰め込むだけ詰め込んでいた各教科の知識は、本当にどこまでも点でしかなくて、どこまでも点と点がつながらなかったあまりに、私の中に蓄積されず、垂れ流しになり、気が付いたら忘れてしまって、消えていた。それだけ。
別にそのいわゆる「詰め込み」と呼ばれる教育、勉強法を痛烈に批判したいわけじゃない。別にその受験のための勉強がまったく役に立たなかったわけではないと思っているから。
けれど、もしあのとき、もう少しだけ「点と点をつなげる」ことの面白さを、それでこその勉強の楽しさを知ることができていたとするなら、人生の彩りというものは、ほんのちょっとだけだったとしても、今よりもカラフルに、濃淡の幅のあるものだったのではないか、と思ったりもする。
「Connecting the dots(点と点をつなげる)」
そうやって勉強すること、学ぶことの面白さを教えてくれたのは、私の場合、大学時代のゼミの先生だったように思う。
「授業に全部出て、その授業内容をノートに書き写し終えて、本を読み終えて、レポートを書き終えて、テストの問題を解き終えて、単位を取り終えることだけが学生時代にやることじゃない。」
そんなようなことを、直接的ではないけれど、ずっと言い続けてくれたように思う。
学生時代、お金を貯めては発展途上国を訪れ、ろくに授業にも行っていなかった私に、先生はいろんな本を紹介してくれた。
フィリピンのごみ山問題に興味を持った私が、それについて卒論を書きたいと言ったとき、先生が差し出してくれたのは、フィリピンの歴史や貧困関連の本ではなくって、イギリスの植民地支配の歴史の本だった。
そこからはじまり、ナオミ・クラインの「ショックドクトリン」、「エビと日本人」などなど、世界全体について学ぶためのたくさんの本を紹介してくれた。
あくまでも、それを点だけで終わらせるなと、今思えば、つなげるためのたくさんのヒントを先生はあえて与えてくれていたのだとそう思う。
卒論の話だけじゃない。当時好きだった人の影響で村上春樹を読みはじめたことを先生に話したら、先生は、急にミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」の本を紹介してきたことをよく覚えている。
どこまでも点を点のままで極めようとする私に、先生は、それをつなげるためのアクションを凝りもせずに何度も提示してくれていた。
そのおかげなのだと思う。
今ではその「点と点をつなげる」ことが面白くて楽しくて、、、。
だから大人になった今も本を読んだり、勉強したり、こうやって文章を書いたりしているのだと思う。
それが果たして意味のあることなのかどうかと聞かれると答えに困る。
「Connecting the dots(点と点をつなげる)」
私はそれが、楽しくて面白いことだと思っているけれど、何かしら目先に見える形での成功や報酬を得られるかと聞かれると、決してそうでは全然ない。
たとえば、私は小説を読むことが好きだけれど、小説をたくさん読んだからといって、報酬が得られるわけでも、何か資格が取れるわけでも何でもない。
あとは、私は草木が好きで、一時期ずっと木の名前を覚えたり、どんぐりがどの木のどんぐりなのか見分けることができるようになったけれど、別にどんぐりを見分けられたところで、急に人生に大きな転機などは訪れない。
言ってしまえば、この言葉をスピーチしたスティーブジョブズだって、今はアップルにいないわけで、別に点と点がつながらなくったって、全然生きていけるのだ。むしろそっちの方が割と効率的に生きれたりもする。
それでも
「Connecting the dots(点と点をつなげる)」
そんなことを意識しながら学び、勉強することは楽しくて面白い。
受験勉強や資格の勉強を短期的に暗記して乗り越えることなんかよりずっと。
何が楽しくて面白いって、自分の興味のおもむくままに勉強してきた結果、その当時はつじつまのあっていなかった点と点が、自分予想に反して、5年とか10年の時を経て、急につながったりすることがあるから、これが一番楽しくて面白かったりするように思う。
けれどそれは、たくさんの点と点を小さくでも、つないできた結果でしか得られないことで、点のままでいると気が付いたら忘れてしまっていることが多々なので要注意だ。
「Connecting the dots(点と点をつなげる)」
点と点をつなぎ、それが線となり、さらに幅となって、奥行きとなる。
そんな楽しくて面白い人生を送るために
私は今日も自分の興味の向くままに学び、勉強している。