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【読書】資本主義との付き合い方『路地裏の資本主義/平川克美著』

最近、というより長い間ずっと、自分と資本主義との距離感をどこに位置づけようかということを、割と真剣に悩んでいて、そんなときにこの一冊にたどり着いた。

自分は資本主義には向いてない。

ずっと薄々感づいてはいたものの、世の中に置いてけぼりをくらいたくなくて、心身共にだいぶすり減ってズタボロになるまで、その違和感に蓋をして、精一杯無理して生きてきた人生だったように思う。

そんな無理を振り返って今、どうにかして、ゼロにはできなくとも、できる限りそれと距離を置いた生き方を模索していた私にとって

「そもそも資本主義とは何なのか?」

という本質を突くような問いからの入り口にあっというまに心を掴まれて一気に読んでしまった。

本書にて、「つかみどころのない資本主義」という言葉を軸としながら、あくまで著者の、いろんな角度から考察した資本主義の視点がおもしろい。共感できるものもあれば、そうでないものもあり、いろいろと考えさせられる一冊だった。

人間は、正義を実現するほど完璧な動物ではありません。こういった諦念があって初めて、厄災があまり大きくならないように、不快な隣人とも共存できるように、自分は他者とは違うように、他者も自分と違うということを認めるという、民主主義が発明されてきたと言えるのです。

本書より引用

一族公務員一家で育ってきた私が、人はみな、ある程度「善」として画一性のある正義をひとりひとりもっていて、それは本当に確かで、揺るがないものである。という言説が崩れたのは、社会人になってからのことだった。

人の正義なんてものはもろくてはかない。

そんなことを認めたくなくて、最初のうちは、自分自身の正義は捨てまいと必死にもがいていたものの、お金、資本主義の社会という相手を目の前にして、そんな努力ははかなく散った。

個人的に、資本主義が今、肥大化しすぎて、格差社会が問題となっている中で、その上位数パーセントに入る人も、そうではなく、貧困という枠組みに位置する人も、いずれにせよ両者、その正義の実現可能性がどんどん低くなりつつあるように、もっともっとはかなくてもろいものになりつつあるように感じるのは私だけだろうか。

栄枯盛衰の歴史もそうですが、物事には始まりがあって終わりがある、というのが自然の理なのですが、しばしば人は、今あるものが所与のものとしてもともと存在し、それがこれ以後も永劫に続くかのような錯覚にとらわれてしまう。いや、今が続くと思わなければやっていられないのかもしれません。

本書より引用

ありがたいことに、資本主義の発展によって、すでに生まれた頃から享受してしまっている豊かな恩恵を手放すことができないのが、私の資本主義との距離を考えていく上での一番の争点になっている。

お金を出せば、豊かになれる。
お金さえあれば、幸せになれる。

何度その考え方からいくら抜けだしたいと思っても、産まれてこの方、ずっとずっとその豊かさの恩恵を受けてきて、その概念で生きてきてしまっている常識をくつがえすことは非常に難しい。

だからこその現実逃避なのかもしれない。
できれば、この生活が、変わらぬままで、そのままで、何事もなくずっと平行線で続いていくことを、ある意味安定して穏やかに生きることを願いすぎるあまりか、世の中は日々変化し、確実性なんてどこにもないにもかかわらず、ちょっとした変化にさえ、うろたえてしまったりしてしまう。

そんな自分が情けなく、なんだか嫌になるときも多々ありつつ、こうやってさまざまな視点から考察して、もっともっと、自分にとってのちょうどいい距離感を見定めていきたいと思った一冊だった。

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