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【小川洋子】『ことり』現代社会に馴染めない人へのやさしい眼差し
『博士の愛した数式』から何十年ぶりかに手にした一冊「ことり」。
数年前に小川洋子さんの講演会「小説の生まれる場所」を、youtubeで見つけて、「へぇ、ことりかぁ」なんて思っていたのが頭の片隅にあった。動画は1時間21分。長いのでお時間があるときに!
進みます。この「ことり」、何が面白いかというと、風変わりな兄弟の風変わりな日常を、市井の一部として淡々と表現していること。
「どういうこと? それ面白い???」
私もそう思いました。予備知識といえば数年前の動画だけで、ほとんどないに等しい状況で読み進めたのですが、風変わりと風変わりと感じさせない日常が実に面白いのです。
・ポーポー語(家族内で命名)しか話せない兄
・家族の中で唯一、兄の言葉を理解できる弟(主人公)
主にこの2人が登場人物で、子供時代のエピソードを織り込みつつ、成人した2人の共同生活は、規則正しく、行動範囲も限られていて、ある時、緻密な計画を立てて旅行を計画するものの、旅行を計画することが「旅行」になるという有り様で、日常は頑なに守られていくのです。
大事件も異世界も殺人やミステリーもない。
大きな転機としてはお兄さんの急死がありますが、それも主人公の日常を大きく変えることはなく、寂しさが心の中に常にあるものの、兄の代わりになる人が現れるわけでもないのです。
お兄さんがいなくなる程度で、恋愛にすらならない主人公(鶏小屋の掃除を買って出ることから「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになる)の恋心の片鱗のようなエピソードはありますが、誰が読んでも「これは片想いに過ぎない」と察しがつくレベルで、近所が誘拐事件が起きて、その犯人に疑われて周囲から距離を置かれるようになっても、小鳥の小父さんの日常はこれといって変わりません。
そう、とことん変わらないのです。
つい小説って、非日常を描いたり、ありえない大恋愛や事件や奇想天外なエピソードをこれでもかと盛ってくると思うのですが(すみません、最近、小説を読んでいないので、あくまで勝手なイメージです。はい)、読者を震撼させるほどの出来事が起こらないのに、読み出すと続きが気になって、ゆっくりゆっくりページをめくることになります。
そう、きっとこの先に何かが起こる。
そんな期待をもってもこの本はしょうがないなと思っているのに、主人公の小鳥の小父さんが妙に気になるのです。
小鳥の声を鮮明に聞き分け、小鳥の気持ちを汲み取れたお兄さんを慕い、自分は兄のレベルに至らないと自己評価は低いものの、小鳥の鳴き真似は見事で、鶏小屋の掃除も鳥たちがどうしたら心地良く過ごせるかを感じ取って磨き上げる。人よりも鳥との交流の方がはるかに密でありながら、ファンタジー小説のように、鳥と流暢に話ができるというわけでもない。
風変わりな主人公、そしてそのお兄さんを見下しも、別枠ともせず、一人の人間として丁寧に描きあげる。それは「博士の愛した数式」の記憶障害の博士への視線と同じように、どこまでもやさしい。
人をばかにしたり、貶したり、ディスることで笑いをとる、なんてことがまかり通っている世の中で、キャンドルの炎のように世の中とはどうも馴染めない、混ざらない人に光を灯す。
そんな穏やかさに満ちた本の中に居心地の良さを感じてしまう。
静かな秋の夜長に最適な1冊です。
小川洋子作『ことり』(朝日文庫)638円