【実情】複雑性PTSDに対応する気なしのグループホーム【追記:解決しました】
こんにちは。
春野太陽です。
今とても憂鬱な気分で寝れず、
頭の中考えが巡ってしまうので
いっその事記事にしてしまいます。
読者はご存知の通り、現在私はグループホームに住んでいます。
生活も4ヶ月目に突入しました。
この3ヶ月の間で職員との意思疎通の取れなさに
わりと何度も呆れたり嫌な思いをしてきました。
今は特に【クライシスプラン】を練るために
これから話し合いを重ねていくのですが、
理解を示してもらえるか到底信用できず憂鬱です。
というのも私は精神疾患で支援が必要ですが、
基本の生活まわりもコミュニケーションも
問題ありません。
私が持っているのは複雑性PTSDであり、
その精神疾患に必要な支援はなにより
【傾聴】に限るのです。
過去のトラウマから起因するフラッシュバックや希死念慮が起きた時、
それは病院で強い薬を投与することや入院することは最善策ではないのです。
医師からも「あくまで処方している薬は2次的に出ているうつを抑えるものであって、根本的な愛着障害やトラウマは薬で消し去ることはできない。」
と言われていますし、
カウンセラーからも「感情の波(モード)というものが存在している。モードが希死念慮に入ったとしても必ず数時間後には落ち着くということを理解して安心できる場所で休めることがトラウマ患者にとって最も必要。心を傷つけるのは人間だが、癒すのもまた人間であり、辛い状況を一緒に乗り越えた体験がトラウマ改善の一歩につながる。」
と助言されています。
ですから、私が希死念慮など起きた時には
そばにいられる人に傾聴してもらって、モードが過ぎるまで落ち着いて過ごすことが最重要となってくるのです。
しかし、グループホーム側のスタンスとしては、
「うちは『話を聞いてほしい』ということに対してのサービスは対応していない。あくまで利用者の自立に必要な金銭管理や食事提供などをしていく場所だ」
というふうな説明をされました。
まぁ簡単にいうと、『お前の傾聴の要望はうちでは対応できない』と言いたいところですかね。
だがしかし、よく考えてみてください。
私はグループホーム側のスタンス説明をもっと分かりやすいようにこう噛み砕きました。
『グループホームは職員とお友達になりたいとか話し相手が欲しい人が来るところじゃない。障害で困難な部分だけ自立に向けてサポートする。』
さて、どうでしょう。
このように今いるグループホームの目的と役割を分かりやすく提示し直した時、
私の『複雑性PTSDの自立支援には話を聞いてもらって一緒に乗り越える体験が必要だから辛い時には寄り添って傾聴して欲しい』
という要望は、
果たして【職員とお友達になりたいから】の方に当てはまるのでしょうか?
それとも【自分の困難な部分を支援してもらい自立に繋げるため】に当てはまるのでしょうか?
それは当然、後者ですよね。
私の「辛いときは話を聞いて欲しい」という要望を、
【障害に伴う支援のため】と理解できておらず、
【話し相手欲しさ】と現状誤解されてるようです。
ここを履き違えられたらとても困るのです。
クライシスプランの話し合いをする中で
この説明をなんとか理解させて
私の希死念慮時の対応を職員内で共有してもらわないと、と思うと先が遠くて
体力と気力がぶっつぶれていくのが目に見えて気が病みます。
なにより、複雑性PTSD自体が国際レベルでまだ未発展の研究領域です。
おそらく精神疾患の専門書や教科書などを見ても、他の項目より詳しく書かれていないでしょう。
医薬品に関しても、PTSD専用の薬というのはありません。
というと誤解になりますが、PTSD専用と認定されている薬が現在2種存在している中、どうやら治験結果を見るとその薬を飲んでフラッシュバックが減ったと感じた患者はほんの数パーセントだったみたいです。
だから、それを飲んでもほぼ意味ないってこと。
要するにPTSDに効果が認められる薬は存在してないも同然。
実際私も抗不安薬や抗うつ薬の処方しか経験がなくPTSD用の薬は医師から提案されたこともありません。
・研究途中で未発展なトラウマの分野
・研究途中なので当然テキストでも学べない
・現状の医薬品でもPTSD対応薬なし
そんな情報過小の三拍子のなかで
その希少な障害を持つ利用者の対応をするとなったら、
とにかく本人の言葉を聴く、本人の様子を見る、本人の気持ちを知る、想像力を働かせる。
データがないなら目の前でデータを得る。
それに尽きると思うんです。
私は医師に心無い言葉をかけられた時以来、
以下のような気持ちを常に持っています。
『お前が何十年と医者をやってきても、
私が実際に苦しんだ8年間を理解するのは到底無理なんだよ。
どんなにテキストや授業や研修で長年学んできてたって、
結局1番苦しみや症状を理解できるのは当事者だけなんだよ。
どんなに学んでも体験してなければ
体験している人には理解が劣るんだよ。
机やテキストで学んだことには決まりやルールがあるかもしれないけど、
リアルの障害者はテキスト記載通りにいかない複雑な症状の絡み合いなんだよ。
同じ病名の障害者だとしても症状まで全く同じなわけじゃなくて一人一人違うんだよ。
親に感謝しろとかサービス外だとか無駄な正論振りかざす前に、
虐待受けた目の前の私の苦しみに想像力働かせろや。』
全世界の医療関係者、福祉関係者に物申したいですね。
とにかく、今のグループホームの様子だと、
私の求める希死念慮時の対応が要望通り進むか分かりません。
『私の体験したことのない計り知れない苦しみを経験しているのが施設の利用者なんだよな。自分は学んだけど体験したことないから共感はしてあげられない。けどできるだけ寄り添えるようにしよう。』
『食事配膳だけで障害者の面倒見た気になって驕り高ぶらないように気を引き締めなきゃ』
『障害者の症状もそれぞれなんだから、その人が本当に必要だと言ってる支援の意味を汲み取る努力をしなきゃ』
などと、誠心誠意、謙虚に、想像力を働かせて、相手と向き合う努力をしてもらわないと困りますね。
はぁ、言いたいことを書き上げられたのでスッキリしました。
これで話し合いの当日もこの気持ちをスラスラと言葉にできそうです。
夜中の更新失礼しました〜。
PTSDでグループホームに住んでいる方の、
クライシスプラン(危険度に合わせた対処策)
どんなものがあるのか、どんなやり取りで決めたのか、
ぜひ教えてくれる方がいたら聞いてみたいです。
2024.09.02(Mon)
春野太陽
【追記】
どうもこんにちは。
実はこの記事を書いてイライラがスッキリしたと思ったのですが、
やはり違和感に身体は耐えられないようで、書いて数時間後に希死念慮を起こしました。
グループホームが原因の希死念慮なので、
拒絶反応によりおじさんの家へ一泊外泊。
希死念慮が落ち着きグループホーム帰宅後も
約1週間職員と顔を合わさず会話もせず、
必死に避けて心の安全を確保してきました。
あるきっかけで「あの日の社長、太陽さんの希死念慮に寄り添うように職員に言ってたよ」
と知り、『社長に私の傾聴支援の要望を受け入れる意思がある』と分かったので
改めて
《あの時の言葉の意図はなんだったのか》
《希死念慮の時はちゃんと寄り添ってもらえるという理解で私は安心していいんですね?》
と直接確認をとることに決めました。
そして迎えた2人での話し合い。
私からは、あの日のメリークリスマス希死念慮になるほど追い詰められた言葉に対する不満・指摘改善や、傾聴支援の必要性も伝えられたし
社長からも具体的なあの日の言葉の意図を聞くことや、私の傾聴支援は必要なことだと理解していてちゃんと受け入れるとの言葉を聞けました。
すっごくここまでの約1週間つらくて、
問題解決した今もまだ疲れや混乱が尾を引いてる現状ではあります。
でも、要望を受け入れてもらえて支援体制が整えられるとの話を聞くことができ
ひとまずは安心できました。
疲れや混乱が落ち着くまでゆっくりして
自分の身体を大事にしたいと思います。
2024.09.10(Tue)
春野太陽
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