『ヤンキー猫拾うと褒められる現象』と『期待される恐怖症』
こんにちは。
春野太陽です。
今日は、真面目な人と不真面目な人の話を
したいと思います。
私は真面目な人ほど理不尽な目に遭う現象を
『ヤンキー猫拾うとめちゃ褒められる現象』
とも呼んだりもします。
例えば
おんなじ人助けをしたとしても、
優等生は「当たり前のことだ」と褒められず、
ヤンキーだと「根は優しい奴だ」と褒められる。
例えば
おんなじ学校規則違反をしたとしても
優等生は「皆の模範だろ」とこっぴどく怒られ、
ヤンキーは「しゃーないだろう」と見過ごしてもらえる。
例えば
会社で仕事が全然こなせてないと
優良社員は「期待してたのに」と評価が下がり、
のろま社員は「まぁこんなもんだ」と特に影響はない。
例えば
おんなじ家事育児をしていても
母親だと「やって当然。ポテトサラダすら手作りしないのか。」と厳しい目なのに、
父親には「イクメンですね。偉いですね。素敵な旦那さんですね。」と高評価。
頑張ってる人が、真面目な人が、
本当に理不尽を受ける社会だなと感じるわけです。
その法則に気づいたのはいつだったのだろうか。
過去にTwitterをしていた時にたまたまそれを見かけて、それが私にとって衝撃の真実だったのは覚えている。
こんなことなら道を外して不良でもやってたほうが、生きるのが楽だったかもしれない。
真面目に必死に一生懸命になんでも頑張ってきた私がバカバカしく感じる。
その頑張りや能力に勝手に周りが期待値を上げて、
それに伴わないと『見損なった』とされる。
こんなのもう勘弁してくれ。
『期待される』ってあなたはいいことだと思いますか?
褒められている、認められている、とも取れるのでいいことだと捉える人もいるでしょう。
でも私は『期待される』が大嫌いです。
だって『期待する』って行為は、
相手の気持ちや能力なりふり構わず
勝手に自分の要望を押し付けることを言うから。
そして勝手に自分の要望を押し付けただけのくせに
それに少しでもそぐわないと『見損なった』『期待はずれだった』と言う。
…いやいや、お前の要望なんて知らねーから!
この行為は、私の家庭でも散々行われてました。
テストの点が少し下がれば「前回と3点も違うだろ!」「次は学年一位取れると思ったのに」と根拠のない期待を勝手に持ち、勝手に私にいらだち、私に暴言・説教・暴力。
習い事がうまくいかなければ「お前のために出した月謝は全部無駄だ」「先生も褒めてたのにお前はやる気がないのか」と私がやりたいと懇願したわけでもない習い事で勝手に私に期待して悲しんだり怒ったり叩いたり。
だからもう『期待される恐怖症』なんです。
新卒で入った会社で、
『〇〇の部分は△△するように気をつけてください。皆さんのこと期待してます。』
と、わざわざ上司から新入社員に一斉メールが
送られてきた時は
「期待」の文字にトラウマで震えるとともに
『おめぇの期待のために働くつもりねぇよ』
と内心荒ぶってました。
(ブラック中小のパワハラ上司だったため)
カウンセラーさんにも『自分が真面目で周りに勝手に期待されるのが嫌だからどうやったら不真面目になれるか』と相談したけれど、
「そもそも誠実・真面目・頑張り屋であることは人としてとても素敵なことです。」
「そして自分の生まれ持ったものなので変えることは困難です。」
「その素敵な部分を無理に変えようとする必要は決してないと思います。」
「そのままの春野さんで生きやすい生き方を別の角度で探しましょう」
とおっしゃってもらいました。
そうなんだよね。。。
真面目で損してるなと思いつつも、
私みたいな真面目がいるから世の中に少しでも規律や優しさを与えてる自負もあるし…。
でも、不真面目になって期待されない人間になってみたい。。
2024.02.16(Fri)
春野太陽
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