見出し画像

あの瞬間に引き戻される感覚

恒例となったWebライターラボのコラム企画。10月のテーマは「お気に入りの本」だ。

お気に入りの本と聞いて、まっさきに浮かんだのは、よしもとばななさんの短編集「デッドエンドの思い出」である。

なかでも大好きなのは、「幽霊の家」という話で、気温が下がり始めると、毎年読みたくなる。

タイトルだけ見ると、ホラーのようだけれど、恋愛ものだ。

あらすじは、こんなかんじ。

地元で愛される洋食屋の娘「せっちゃん」と、有名なロールケーキ屋の息子である「岩倉くん」。

同じ大学に通うふたりは、お互いに親が飲食店を経営していることもあり、距離を縮めていく。

ある日、岩倉くんの提案で、彼の家で鍋を作ることになった、せっちゃん。

行ってみると、岩倉くんの部屋には、以前亡くなった、大家さんご夫婦の幽霊が暮らしているようで……。

コラムを書くにあたり、どこをどう気に入っているのか、考えながら読み返してみたのだけれど、うまく言語化できない。

好きだと感じるのは、ストーリーなのか登場人物なのか、表現なのか、あるいは他の何かなのか。

はっきり分からないのけれど、この本だけは、買ってから何年たっても手放せないんだよね。

その理由をどうにか言葉にしたい。

1週間くらい、常に脳の隅に疑問を置いておき、たびたび取り出して考えてみると、やっと答えのようなものが見えてきた。

私は、一瞬の感情を、ひとつひとつ言葉でなぞっていくような、ばななさんの文章が好きなのかもしれない。

たとえば、下の部分。

冬の曇り空ってなんていやらしいんだろう、雲の厚みやグレーの空や、吹き渡っていく風。全てが人と肌を寄り添わせるために設定されているとしか思えない。

よしもとばなな,デッドエンドの思い出,文春文庫,2006,34ページ

冷たい空気のなかにいることがいやになって、

早く家に帰りたい。ストーブや暖房をつけた部屋で、好きな人と温かいものを食べたい。

そう思いながらも、本心は違う。どちらからともなく触れ合い、裸になって一緒に布団にくるまりたいだけなんだ。

しあわせなのに、何だか泣きたくなる。懐かしい感じ。

読んでいると、私の魂がせっちゃんに乗り移って、今この瞬間に立ち会っているような感覚になる。

せっちゃんと過去の自分の境界線が曖昧になるのだ。

ああ、そうか。

「幽霊の家」には、忘れたくないけれど、いつの間にか忘れてしまった、過去の私の感覚が閉じ込められているんだ。

やっと、この本が好きな理由が見つかった。

写真を撮ったり、日記に書いたりする程ではない。けれども、時間が経つほど大切さが増していく繊細な感情を、一瞬で蘇らせてくれる。

私のタイムカプセルなのだ。


Discord名:春野なほ
#Webライターラボ2410コラム企画

いいなと思ったら応援しよう!

春野なほ|エッセイスト・ライター
この記事を読んで、少しでも心が動いたら、ぜひ応援お願いします🙏いただいたチップは、より厚み・深みのある文章を書くために本の購入に使わせていただきます📚️

この記事が参加している募集