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「死にたい」に隠した本音

本屋さんをぶらぶらしていると、目に入る本がある。

「死にたいって誰かに話したかった」というタイトルを見て、いつも足が止まるのだ。

手に取ってページをめくったこともないし、もちろん買ってもいない。

ただ、表紙をぼんやり眺めるだけなのだけれど、何か気になる。

そして、自然に記憶を遡ってしまうのだ。

***

私は人に「死にたい」と話したことが、人生で2回ある。

1回目は高校3年生。高校2年生の三学期に「うつ病」と診断されて、休学していたときだ。

生きているけれど死んでいるような感じがしていて、ベッドのなかで、ただ時間が過ぎるのを待つだけの毎日。

そんな状況だったが、いつも力になってくれる歳上の男の人がいた。(お察しのとおり、彼が好きでした)

当時、私の体調はすこぶる悪く、外で会う機会はほとんどなかったのだけれど、毎日メールでやりとりしていた。

ある日、体と心がとんでもなくしんどいのとか、この先私はどうなるんだろうっていう不安から、「もういやだ。死にたい」って言葉を送信してしまった。

送ってから返事が来るまで、1時間はかかっただろうか。

一瞬、読むのをためらうような、長文が届いた。

ざっくりまとめると、以下のような内容だった。

そんなこと言ったらだめだよ。
お父さんもお母さんも悲しむよ。

心底がっかりした。そんなのわかったうえで、嫌われるの覚悟で、SOSを出したのに。

私の心は荒れ狂い、次の日だったか、気付いたらキッチンで睡眠導入剤を大量に飲んでいた。(そんなに強い薬じゃなかったので、大事には至らなかったけど、絶対に真似しちゃだめだよ)

***

2回目は、noteにも何度か書いているやつだ。なるべく思い出したくないから、ざっくり書かせてもらう。

▼詳細はこちら。

元夫に対して「死にたくなるくらい悲しい気持ちになった」と伝えたら

じゃあ死ねば?

という、破壊力ハンパない言葉が返ってきたのだ。(語彙力なくなるほど、はらわた煮えくり返ったわ)

***

こうして過去を振り返ると、なかなか闇深かったなあ。

言いたいのはさ、私が「死にたい」と口にするときは、本当に死にたいわけじゃないってこと。

ただ、それくらい悲しい、寂しい、痛い、つらい……そんな気持ちを否定しないで受け止めてほしいだけ。

「一緒にいるよ」「生きていてほしい」って言ってくれれば、ものすごく安心できる。

なんなら、言葉がなくてもいい。ただしばらくのあいだ、黙って抱きしめてくれたらそれでいい。

私を必要としてくれてるって、証明してほしい。それだけなんだ。

「死にたい」なんて、できるなら誰にも話したくない。それでも言ってしまうのは、どうにかして生きていたいからなんだよ。

***

さてと、過去の私の「死にたい」に隠れた本音もわかったことだし、いい加減、冒頭の本を手にとってみようかしらね。


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